2014年 10月 22日
抜刀・居合術の目的 |
「日本剣道及刀剣」萩尾孝之著【昭和18年発行 非売品】から抜粋してご紹介します。
▼実戦即応の剣道に復れ
各流に見る所の形及び組太刀なるものは、太平の世(徳川中期以降)に及んで改廃され、専ら撓・竹刀打の試合上の研究に堕したものが多く、遂には真の伝を忘却するに至った。こうしたものの通弊として、形の上に於いても既に原形が失われているが、特に其の内容・精神に至っては、祖師先哲の真意が全く跡を絶っている。此のようなものを如何に研究しても、何ら得る所はない。一体、斯道の奥義・極意とする所は、精神の微妙な点にあり、以心伝心、これを伝承して来たものであるから、其の境地に達した者には、奥書を与えたり、口伝で教示したりしてよいが、そうでない者には、伝書や形の研究だけでは、真に認得させる訳にはゆかないのである。
▼柳生流抜刀・居合術の目的
居合は、兵法古道の正しい教習に於いては、槍・薙刀・棒・杖・体術等と共に、抜刀截合の術として実施された。
徳川中期以降は、恰も武術の一科目の如く分離して、殆ど専門的に教習するようになった。其の為に剣術の一末技に堕落したのは、甚だ残念なことである。即ち剣術と居合とが二派に分かれて、相対立したような観を呈するに至った。随って、居合は抜刀の鞘放れ、収刀の捷径にのみ心を奪われ、剣道截合の術は無用であると誤り、截合に於いて最も必須な間合を無視し、手前業の小手先の早業に堕し、曲芸的な稽古となり、真剣味を失うことになった。純正剣道抜刀術は、抜刀・収刀・太刀打を教習するばかりでなく、居合・立合の抜刀截合の術や組討ちを行う為に、敵味方二人又は多数の敵に対する真剣截合の術、即ち剣道截合術の教習が肝要である。剣道抜刀術の究極の目的は、勿論其の根本である所の兵法剣道にあって截合をする為の抜刀であるから、平素の教習に於いて、此の剣道截合術の鍛錬を目標とするのは論を俟たないところである。真剣・刃引・木太刀・韜竹(ひきはだしない)で行う抜刀術、截合が即ちこれである。(中略)
私の貧しい体験からすれば、我々の如く幼時から現代竹刀剣術にて育成され、中年から当流に随身した者にあっては、過去に於ける速成練達法による教育法に禍され、丸太刀の勢法によっても、刀を持って行う居合術の方が遙かに了得が捷いように考えられる。先ず、日本刀を持って感ぜられることは、防具を着用し、竹刀を手にして向かう敵と対した時とは、真に変わった世界が現出するのである。我々の体勢が全く身懸というものを忘失してしまって、徒に上体を棒立ちにして、これを以て最も正しい姿勢・構であると考えていたにも拘わらず、刀を持って構えた時には、如何にも不安定に感ぜられるのである。
太刀を打ち出す時の必須条件である上体の抑揚・高低・俯仰・屈伸の作用(はたらき)が出来ていない為に、単に前臂を伸張して、臂力の作用のみによって敵の面等に斬りつけることに終始している。又身を入れることを知らない為に、一層上膊と肩胛との機械的作用に陥りやすい。斯くして、刀勢に上体が連れて運行する所の太刀連が出来ず、敵の頭蓋骨・肩・腕等へ深く截り込むことが至難である。これを試斬に徵すれば、一層事理明白である。又不整地に於ける顚倒が多いのは、足の踏み方が悪いから起こるので、足幅の非常に狭いこと、道場板の間に於いて左足の踏み切り、跳躍作用を大ならしめる為に爪立つこと、これは道場に於いては最も便利重宝な作用(はたらき)である。(以下省略)
参照1:剣術から合気が産まれたぁ〜?
参照2:介者截合に於けるところの極意
参照3:柳生流兵法抜刀術
参照4:斬り合う剣の業前は術と道とに通ず
参照5:現代剣道と古流剣術そして合気
#楽隠居です
この本は、ずっと探していたのですが、値段が高すぎたり、状態が悪かったりで、手に入れることが出来ませんでした。しかし、何とか数日前にゲット出来ました。
でも、ほぼ二ヶ月分の年金が消えました。まぁ〜年金が少ないだけですが!
やっぱ、資格ビジネスで元を取るしかないのでしょうねぇ〜
免状を乱発する前に、急いで字の練習をしなければ!
でも、私が出す伝書は、仮名伝書になりますかな???
参照おまけ:賞状テンプレート 文例集
☆リンク先で更新された記事
◆『仙腸関節で動く』
最近、『仙腸関節で動く』という事に対して、頭の中と実際の動きの違いを発見したのでまとめておきます。
実際の仙骨の腸骨との関節面を確認すると真っ直ぐではないのに、鼠蹊部から仙腸関節までを真っ直ぐ後ろに引こうとしている事。
大腿骨で骨盤を神輿の様に担ぎ上げる様に意識していたが、仙腸関節の認識違いで関節を詰めて動いている。
大腿骨で腸骨の角度を決めて仙骨を担ぎ上げると仙骨が浮き上がり仙骨が自由に動く。
やっと『膝→鼠蹊部→股関節→仙腸関節』の認識が変わり、芯を通ると『仙腸関節で動く』事が出来る。
そして七刀や歩法の金魚売りや程歩・活歩、玉叩きの意味合いが変わってきました。
仙骨の関節面の角度は個人個人で違うでしょうし、男女の差もあるので、その時その時確認する必要があります。
この関節面の角度では互いの仙腸関節が上手くバランスを取らないとずれが生じて故障に繋がるので丁寧に観察していきます。
◆薄筋の役割
『仙腸関節で動く』でも記載しましたが、とても微妙なバランスを取らないといけない。
バランスが崩れてしまう時もあるので、呼吸で観察してみました。
吸気時に下半身が組みあがってくるので動きの方向性としては間違っていないと思う。
呼吸なしで組み上げた時と呼吸で組み上げた時の差は薄筋の効き方の違いで、
骨盤のバランスを保つという薄筋の役割が解ってくる。
そして、骨盤時計の3時9時で仙腸関節での引きと攻めと肚の関係をチェックしていると、
瘂門(あもん)へと力が伝わり、反作用で身体が組み上げられて、頭部のバランスがストッパーになり重力で吊るされる感覚になる事がありました。
そうする事で、やっと自分の中が落ちてから剣を落とせる体験もできたので、引き続き練習して私の苦手な『峰と谷』の鍛錬が出来れば良いと思っています。
参照6:小股って何処か分からないので こまった?
▼実戦即応の剣道に復れ
各流に見る所の形及び組太刀なるものは、太平の世(徳川中期以降)に及んで改廃され、専ら撓・竹刀打の試合上の研究に堕したものが多く、遂には真の伝を忘却するに至った。こうしたものの通弊として、形の上に於いても既に原形が失われているが、特に其の内容・精神に至っては、祖師先哲の真意が全く跡を絶っている。此のようなものを如何に研究しても、何ら得る所はない。一体、斯道の奥義・極意とする所は、精神の微妙な点にあり、以心伝心、これを伝承して来たものであるから、其の境地に達した者には、奥書を与えたり、口伝で教示したりしてよいが、そうでない者には、伝書や形の研究だけでは、真に認得させる訳にはゆかないのである。
▼柳生流抜刀・居合術の目的
居合は、兵法古道の正しい教習に於いては、槍・薙刀・棒・杖・体術等と共に、抜刀截合の術として実施された。
徳川中期以降は、恰も武術の一科目の如く分離して、殆ど専門的に教習するようになった。其の為に剣術の一末技に堕落したのは、甚だ残念なことである。即ち剣術と居合とが二派に分かれて、相対立したような観を呈するに至った。随って、居合は抜刀の鞘放れ、収刀の捷径にのみ心を奪われ、剣道截合の術は無用であると誤り、截合に於いて最も必須な間合を無視し、手前業の小手先の早業に堕し、曲芸的な稽古となり、真剣味を失うことになった。純正剣道抜刀術は、抜刀・収刀・太刀打を教習するばかりでなく、居合・立合の抜刀截合の術や組討ちを行う為に、敵味方二人又は多数の敵に対する真剣截合の術、即ち剣道截合術の教習が肝要である。剣道抜刀術の究極の目的は、勿論其の根本である所の兵法剣道にあって截合をする為の抜刀であるから、平素の教習に於いて、此の剣道截合術の鍛錬を目標とするのは論を俟たないところである。真剣・刃引・木太刀・韜竹(ひきはだしない)で行う抜刀術、截合が即ちこれである。(中略)
私の貧しい体験からすれば、我々の如く幼時から現代竹刀剣術にて育成され、中年から当流に随身した者にあっては、過去に於ける速成練達法による教育法に禍され、丸太刀の勢法によっても、刀を持って行う居合術の方が遙かに了得が捷いように考えられる。先ず、日本刀を持って感ぜられることは、防具を着用し、竹刀を手にして向かう敵と対した時とは、真に変わった世界が現出するのである。我々の体勢が全く身懸というものを忘失してしまって、徒に上体を棒立ちにして、これを以て最も正しい姿勢・構であると考えていたにも拘わらず、刀を持って構えた時には、如何にも不安定に感ぜられるのである。
太刀を打ち出す時の必須条件である上体の抑揚・高低・俯仰・屈伸の作用(はたらき)が出来ていない為に、単に前臂を伸張して、臂力の作用のみによって敵の面等に斬りつけることに終始している。又身を入れることを知らない為に、一層上膊と肩胛との機械的作用に陥りやすい。斯くして、刀勢に上体が連れて運行する所の太刀連が出来ず、敵の頭蓋骨・肩・腕等へ深く截り込むことが至難である。これを試斬に徵すれば、一層事理明白である。又不整地に於ける顚倒が多いのは、足の踏み方が悪いから起こるので、足幅の非常に狭いこと、道場板の間に於いて左足の踏み切り、跳躍作用を大ならしめる為に爪立つこと、これは道場に於いては最も便利重宝な作用(はたらき)である。(以下省略)
参照1:剣術から合気が産まれたぁ〜?
参照2:介者截合に於けるところの極意
参照3:柳生流兵法抜刀術
参照4:斬り合う剣の業前は術と道とに通ず
参照5:現代剣道と古流剣術そして合気
#楽隠居です
この本は、ずっと探していたのですが、値段が高すぎたり、状態が悪かったりで、手に入れることが出来ませんでした。しかし、何とか数日前にゲット出来ました。
でも、ほぼ二ヶ月分の年金が消えました。まぁ〜年金が少ないだけですが!
やっぱ、資格ビジネスで元を取るしかないのでしょうねぇ〜
免状を乱発する前に、急いで字の練習をしなければ!
でも、私が出す伝書は、仮名伝書になりますかな???
参照おまけ:賞状テンプレート 文例集
☆リンク先で更新された記事
◆『仙腸関節で動く』
最近、『仙腸関節で動く』という事に対して、頭の中と実際の動きの違いを発見したのでまとめておきます。
実際の仙骨の腸骨との関節面を確認すると真っ直ぐではないのに、鼠蹊部から仙腸関節までを真っ直ぐ後ろに引こうとしている事。
大腿骨で骨盤を神輿の様に担ぎ上げる様に意識していたが、仙腸関節の認識違いで関節を詰めて動いている。
大腿骨で腸骨の角度を決めて仙骨を担ぎ上げると仙骨が浮き上がり仙骨が自由に動く。
やっと『膝→鼠蹊部→股関節→仙腸関節』の認識が変わり、芯を通ると『仙腸関節で動く』事が出来る。
そして七刀や歩法の金魚売りや程歩・活歩、玉叩きの意味合いが変わってきました。
仙骨の関節面の角度は個人個人で違うでしょうし、男女の差もあるので、その時その時確認する必要があります。
この関節面の角度では互いの仙腸関節が上手くバランスを取らないとずれが生じて故障に繋がるので丁寧に観察していきます。
◆薄筋の役割
『仙腸関節で動く』でも記載しましたが、とても微妙なバランスを取らないといけない。
バランスが崩れてしまう時もあるので、呼吸で観察してみました。
吸気時に下半身が組みあがってくるので動きの方向性としては間違っていないと思う。
呼吸なしで組み上げた時と呼吸で組み上げた時の差は薄筋の効き方の違いで、
骨盤のバランスを保つという薄筋の役割が解ってくる。
そして、骨盤時計の3時9時で仙腸関節での引きと攻めと肚の関係をチェックしていると、
瘂門(あもん)へと力が伝わり、反作用で身体が組み上げられて、頭部のバランスがストッパーになり重力で吊るされる感覚になる事がありました。
そうする事で、やっと自分の中が落ちてから剣を落とせる体験もできたので、引き続き練習して私の苦手な『峰と谷』の鍛錬が出来れば良いと思っています。
参照6:小股って何処か分からないので こまった?
by centeringkokyu
| 2014-10-22 00:01
| 一刀流極意など