2014年 03月 31日
万法帰一 |
☆リンク先で更新された記事
◆観照塾 26・3・29
肋骨・肘・前腕・手・木刀・その先。
肋骨・肘から『集める』様な動き。集めた力はその先へ向かう。
下半身から締める動きも、集める動き。
周りに意識が向いて、狭くなっていた自分に気付けます。
反省の日々です。
◆剣の最終日
#くぼけんです
今日は剣の最終日、印象的だったのは最初に剣メニューを行っていた時のM岡さんの後ろ姿でした。
挟む力で剣を振り上げ、ゼロを感じ、少しずらして剣が落ちる所に落とす。
剣を止めるのではなく、落ちる所まで落ちたら止まるといった感じでした。
私はわざとらしく木刀の落ちる位置を頭で決めてしまっていました。
また、一週間模索します。
剣と手技のリンクが沢山あり楽しく過ごせました。
◆「提歩素振りを通して」
昨夜は観照塾での剣術の最終日。
前立ちし、「剣術メニュー」を通す様ご指示を受けました。
客観的に、各位の様子・状況を観る意図がおありだったと思いますが、
別途「今回、どの程度やり込んだのか?その程を見せてみよ」との事だとも感じました。
一本目は「真っ直ぐ中段」
先生のメニュー群は、総じて「万法帰一」
「1本目」はその象徴的でもあり、最もシンプル。
何度やっても難しさを感じます。
◆観照文77
青岸の構えでは、相手の首筋から斜めに通る太刀筋をイメージし、片側の鼠径部をさらに深くすることで、そのラインを斬れるように刃筋を合わせました。
青岸の構えから、上肢に体幹を近付けていくと城郭勢になり、いずれの身勢においても、そこから内部を伸ばせるかどうかが重要であることを学びました。
相手が振り下ろす剣との接触と伸びのタイミングが合うと、吸い込みながら入れることができ、受けと攻めを両立できることを体感しました。
さらに、後頚部によって上肢を吊るし、肋骨の操作を剣に伝えることが出来ると、浮かせた相手をいずれの方向にも崩せることを知りました。
上手く伝えられたときには、思いの外、力を必要としないことを実感できました。
今年の稽古で、剣術における身体動作の重要性を実感しましたので、続けて練習に取り組んでいきたいと思います。
◆「私の真(武)・善(医)・美(舞)」
剣に取り組むに当たり、
去年からの「歩法」の稽古がかなり効いている気がします。
丁度、10月からアルゼンチンタンゴを始めたこともあり、
なかなか取っ付き難かった「歩法」の大研究がスタート。
「最低、この程度位は出来るでしょ」...そう思った部分の崩壊から始まり、
「ただ、歩く」ことに毎回、数時間を掛け、
「観照塾」の「歩法・剣メニュー」の枠を超え、
かなりの数の個人メニューが産まれました。
その過程で、様々なことに気付き、体現出来る様になったことも多く、
それに応じて、メニューは常時、更新され、進化しています。
参照1:萬法帰一
萬法とは一切の存在は因縁によりて生ずる自然の理法であり、一とは万物の
根源であり、大宇宙のすべてのものは一から生じ、一に帰するとされる。
その唯一絶対の当体はそのまま萬法に貫く道理でもある。従って萬法帰一とは
天地万物のすべては唯一絶対の根源的真理に帰入することをいい、また森羅
万象の一切はそれぞれに根源としての真理の道理が貫かれているとする。
参照2:基本の精度
一刀流は一刀即万刀ということだそうです。
更には、万刀帰一。シンプルですね!
「そくいの付け」というのもありました。
そして、新陰流「転(まろばし)」と「三拍子之事(当たる・付ける・越す)」
そこから、「入れる・付ける・抜く」合気が・・・
私のやり方は、何にでも使えるような呼吸法を目指していますから、共通項を見つけることが大切だと考えています。
☆おまけ
・「八紘一宇」のこと
・田母神俊雄元航空幕僚長の更迭の原因となった論文をきちんと読んでみよう。
・韓国の小中学校で行われている反日教育
・韓国の「人権」に普遍性はあるか
韓国があらゆる人権問題から、「戦時下における女性」のみを切り取って標榜(ひょうぼう)する「人権」とは、日本という特定の国の過去の追及という特定の政治目的を果たすために、国際社会の支持を求めて掲げられたものにほかならない。その主張はどこまで「普遍的」か、国際社会に向けて発せられる主張として、果たして「公正」なのかが問われねばならない。
人権が遍(あまね)く追求されるべき価値であることは言うまでもない。とはいえ、「普遍性」の名の下に民族主義と吻合(ふんごう)し、価値を装飾した外交は、時に国家間の利害の調整を不能に陥れる。北朝鮮の人権状況の向上を対話の前提に据えず、また、中国との関係維持のため現下の人権問題を黙過し、「人権」を選別的に主張している韓国こそ、そのことを最も知悉(ちしつ)しているはずである。
◆観照塾 26・3・29
肋骨・肘・前腕・手・木刀・その先。
肋骨・肘から『集める』様な動き。集めた力はその先へ向かう。
下半身から締める動きも、集める動き。
周りに意識が向いて、狭くなっていた自分に気付けます。
反省の日々です。
◆剣の最終日
#くぼけんです
今日は剣の最終日、印象的だったのは最初に剣メニューを行っていた時のM岡さんの後ろ姿でした。
挟む力で剣を振り上げ、ゼロを感じ、少しずらして剣が落ちる所に落とす。
剣を止めるのではなく、落ちる所まで落ちたら止まるといった感じでした。
私はわざとらしく木刀の落ちる位置を頭で決めてしまっていました。
また、一週間模索します。
剣と手技のリンクが沢山あり楽しく過ごせました。
◆「提歩素振りを通して」
昨夜は観照塾での剣術の最終日。
前立ちし、「剣術メニュー」を通す様ご指示を受けました。
客観的に、各位の様子・状況を観る意図がおありだったと思いますが、
別途「今回、どの程度やり込んだのか?その程を見せてみよ」との事だとも感じました。
一本目は「真っ直ぐ中段」
先生のメニュー群は、総じて「万法帰一」
「1本目」はその象徴的でもあり、最もシンプル。
何度やっても難しさを感じます。
◆観照文77
青岸の構えでは、相手の首筋から斜めに通る太刀筋をイメージし、片側の鼠径部をさらに深くすることで、そのラインを斬れるように刃筋を合わせました。
青岸の構えから、上肢に体幹を近付けていくと城郭勢になり、いずれの身勢においても、そこから内部を伸ばせるかどうかが重要であることを学びました。
相手が振り下ろす剣との接触と伸びのタイミングが合うと、吸い込みながら入れることができ、受けと攻めを両立できることを体感しました。
さらに、後頚部によって上肢を吊るし、肋骨の操作を剣に伝えることが出来ると、浮かせた相手をいずれの方向にも崩せることを知りました。
上手く伝えられたときには、思いの外、力を必要としないことを実感できました。
今年の稽古で、剣術における身体動作の重要性を実感しましたので、続けて練習に取り組んでいきたいと思います。
◆「私の真(武)・善(医)・美(舞)」
剣に取り組むに当たり、
去年からの「歩法」の稽古がかなり効いている気がします。
丁度、10月からアルゼンチンタンゴを始めたこともあり、
なかなか取っ付き難かった「歩法」の大研究がスタート。
「最低、この程度位は出来るでしょ」...そう思った部分の崩壊から始まり、
「ただ、歩く」ことに毎回、数時間を掛け、
「観照塾」の「歩法・剣メニュー」の枠を超え、
かなりの数の個人メニューが産まれました。
その過程で、様々なことに気付き、体現出来る様になったことも多く、
それに応じて、メニューは常時、更新され、進化しています。
参照1:萬法帰一
萬法とは一切の存在は因縁によりて生ずる自然の理法であり、一とは万物の
根源であり、大宇宙のすべてのものは一から生じ、一に帰するとされる。
その唯一絶対の当体はそのまま萬法に貫く道理でもある。従って萬法帰一とは
天地万物のすべては唯一絶対の根源的真理に帰入することをいい、また森羅
万象の一切はそれぞれに根源としての真理の道理が貫かれているとする。
参照2:基本の精度
一刀流は一刀即万刀ということだそうです。
更には、万刀帰一。シンプルですね!
「そくいの付け」というのもありました。
そして、新陰流「転(まろばし)」と「三拍子之事(当たる・付ける・越す)」
そこから、「入れる・付ける・抜く」合気が・・・
私のやり方は、何にでも使えるような呼吸法を目指していますから、共通項を見つけることが大切だと考えています。
☆おまけ
・「八紘一宇」のこと
・田母神俊雄元航空幕僚長の更迭の原因となった論文をきちんと読んでみよう。
・韓国の小中学校で行われている反日教育
・韓国の「人権」に普遍性はあるか
韓国があらゆる人権問題から、「戦時下における女性」のみを切り取って標榜(ひょうぼう)する「人権」とは、日本という特定の国の過去の追及という特定の政治目的を果たすために、国際社会の支持を求めて掲げられたものにほかならない。その主張はどこまで「普遍的」か、国際社会に向けて発せられる主張として、果たして「公正」なのかが問われねばならない。
人権が遍(あまね)く追求されるべき価値であることは言うまでもない。とはいえ、「普遍性」の名の下に民族主義と吻合(ふんごう)し、価値を装飾した外交は、時に国家間の利害の調整を不能に陥れる。北朝鮮の人権状況の向上を対話の前提に据えず、また、中国との関係維持のため現下の人権問題を黙過し、「人権」を選別的に主張している韓国こそ、そのことを最も知悉(ちしつ)しているはずである。
by centeringkokyu
| 2014-03-31 07:36
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