2013年 12月 09日
袖擦り合うも多少の延 |
☆リンク先で更新された記事
◆観照文63
合気観照塾 2013.12.07
先日の観照塾では、杖を使った稽古がありました。
両手の間に杖を挟み、呼吸によって浮き沈みする様子を観察しました。
下肢内側の締めと上肢の尺側の張りが一致する位置では、相手に負荷を掛けられても、楽に浮かせられることを感じられました。
杖を身体の周りで大きく回転させる際も、上方に伸び上がるのではなく、片側の下肢を内側の張りによって引くことで、重心を残したまま内部を伸ばせることを学びました。
そこから、脚を揃える際の引き寄せが突く力になり、下肢の先導によって手が滑り、結果として杖が動くという状態を体感しました。
◆振袖を使う
・振袖を持ってもらい
振袖を効かして落とす
頸の位置を決めて肩の力を抜くと三角筋の緊張が解けて振袖が伸びる
・両手首を持ってもらい揺れるそして落とす
固まっている所が緩むように揺れる
頸の位置があっち行ったりこっち行ったりしないようにキープ
◆「杖で身の丈を図る」
今月から、観照塾のレクチャーは「杖」です。
でも、昨夜の時点で、その「ベース」と「妙」の解説は終わったのでは!?と思います。
二か月ほど掛け、「太極棒」と「歩法」を自己練習しておいて良かったです。
何故なら、「肚」と「ハッキン」の自覚、
「肚」と「ハッキン」を使う感じ・感覚、
「肚」と「ハッキン」で繋ぐ・結ぶ身体の経路と運動 など、
それなしで、何もないからです。
敢えて、カタカナで「ハッキン」書いてみたのは、
下半身にある、筋肉とその働きのみならず、
全身に「ハッキン」と呼べる部位やその働き、繋がりがあるからです。
年間スケジュールにみる、テーマの繋がりや関連性、
先生が都度、上げるテーマをじっくり見据え、
自分独自の稽古法、スケジュールを作ることで、観えて来るものがあると思います。
◆観照塾 25・12・7
杖の稽古。
杖を立てて、合掌する。
屈筋を使わず上げる。
手を合わせる時点で、屈筋に力が入る。
降ろしてる時点でも力が入っている?
伸筋で上げる。伸筋・腋窩。伸ばして、張らせて使う。
薄筋と同じ。
◆肉体改造レポート
*12.7 先日、先生の‘実修実験’を読ませていただいたあと、自己練習の際にふと思た 「この世は自執との戦いか!」。 かつて鍼灸の師匠に 「人間は執着心を捨てれるかや」と、時折諭していただいた事がありましたが。執着心を前に進む為のパワーの源にしてきた部分はあったが、大きくもうひとまたぎ次元を超えれるかどうかいう事やな。こてっちゃんならぬ 解脱っちゃんやな。おさむ師匠風に言わせていただくと、げだ~ げだ~ げだっちゃんで~す。次の視界を楽しめるように 「やれるんか?」 「やったらよろしおまっしゃねんやろっ!!」
◆「”ちょっと”を大切に積み重ねる」
自己管理やお仕事(治療、運動処方)、趣味など、自分の日常において、
「何故、そうしてしまうのだろう?そうなったのだろう?」と観察し続けた時、
自分にとって「当たり前過ぎ」、
若しくは「灯台もと暗し(全く意図や意識しない)」などが原因し、
「本当に小さなボタンの掛け違い」があることに気付きます。
そこが見出せた時、
必ず、「大きな自覚」があり、
それに誘われる様に、「行動や自覚の修正・改善」が起こって、
結果、段々と症状が緩和、回復されて行きます。
そんな「ちょっとした」を俯瞰・大局的に観る大切さを思います。
何か問題があった時、
どうしても私達は、抱える「問題」を「外」に見て、
「誰か・何か」の「大きな力」に頼り、問題解決しようと思います。
勿論、自分では、どうしても手の届かない部分はあり、
専門家の技術や智恵の手助けが必要な場合がありますが、
「事故」や「感染」と言ったものを除けば、
その原因は「自分」の「ささいな、ちょっとした」部分にあると思われます。
◆肉体改造レポート
*12.9 以前先生に押していただいた背中のポイントから上に伸びるベクトルと、頭の中を通る軸を一致させるには、とりあえずその一つの要素として、ソケイ部の深みが必要やな。つまり、骨盤時計と歩法ですわ。
参照1:杖の中心が自分の丹田と一致した状態を保つ
参照2:手首と股関節の動きが一致する
参照3:何か分からなければセンタリング呼吸法のブログで調べる
参照4:杖を持っての体内操作
参照5:手の皮膚感覚、足の皮膚感覚を肚で感じる
参照6:杖を触りまくる
参照7:自分の体を緩め 相手の変化に対応し誘導
参照8:投げない柔術 振らない剣術
◆観照文63
合気観照塾 2013.12.07
先日の観照塾では、杖を使った稽古がありました。
両手の間に杖を挟み、呼吸によって浮き沈みする様子を観察しました。
下肢内側の締めと上肢の尺側の張りが一致する位置では、相手に負荷を掛けられても、楽に浮かせられることを感じられました。
杖を身体の周りで大きく回転させる際も、上方に伸び上がるのではなく、片側の下肢を内側の張りによって引くことで、重心を残したまま内部を伸ばせることを学びました。
そこから、脚を揃える際の引き寄せが突く力になり、下肢の先導によって手が滑り、結果として杖が動くという状態を体感しました。
◆振袖を使う
・振袖を持ってもらい
振袖を効かして落とす
頸の位置を決めて肩の力を抜くと三角筋の緊張が解けて振袖が伸びる
・両手首を持ってもらい揺れるそして落とす
固まっている所が緩むように揺れる
頸の位置があっち行ったりこっち行ったりしないようにキープ
◆「杖で身の丈を図る」
今月から、観照塾のレクチャーは「杖」です。
でも、昨夜の時点で、その「ベース」と「妙」の解説は終わったのでは!?と思います。
二か月ほど掛け、「太極棒」と「歩法」を自己練習しておいて良かったです。
何故なら、「肚」と「ハッキン」の自覚、
「肚」と「ハッキン」を使う感じ・感覚、
「肚」と「ハッキン」で繋ぐ・結ぶ身体の経路と運動 など、
それなしで、何もないからです。
敢えて、カタカナで「ハッキン」書いてみたのは、
下半身にある、筋肉とその働きのみならず、
全身に「ハッキン」と呼べる部位やその働き、繋がりがあるからです。
年間スケジュールにみる、テーマの繋がりや関連性、
先生が都度、上げるテーマをじっくり見据え、
自分独自の稽古法、スケジュールを作ることで、観えて来るものがあると思います。
◆観照塾 25・12・7
杖の稽古。
杖を立てて、合掌する。
屈筋を使わず上げる。
手を合わせる時点で、屈筋に力が入る。
降ろしてる時点でも力が入っている?
伸筋で上げる。伸筋・腋窩。伸ばして、張らせて使う。
薄筋と同じ。
◆肉体改造レポート
*12.7 先日、先生の‘実修実験’を読ませていただいたあと、自己練習の際にふと思た 「この世は自執との戦いか!」。 かつて鍼灸の師匠に 「人間は執着心を捨てれるかや」と、時折諭していただいた事がありましたが。執着心を前に進む為のパワーの源にしてきた部分はあったが、大きくもうひとまたぎ次元を超えれるかどうかいう事やな。こてっちゃんならぬ 解脱っちゃんやな。おさむ師匠風に言わせていただくと、げだ~ げだ~ げだっちゃんで~す。次の視界を楽しめるように 「やれるんか?」 「やったらよろしおまっしゃねんやろっ!!」
◆「”ちょっと”を大切に積み重ねる」
自己管理やお仕事(治療、運動処方)、趣味など、自分の日常において、
「何故、そうしてしまうのだろう?そうなったのだろう?」と観察し続けた時、
自分にとって「当たり前過ぎ」、
若しくは「灯台もと暗し(全く意図や意識しない)」などが原因し、
「本当に小さなボタンの掛け違い」があることに気付きます。
そこが見出せた時、
必ず、「大きな自覚」があり、
それに誘われる様に、「行動や自覚の修正・改善」が起こって、
結果、段々と症状が緩和、回復されて行きます。
そんな「ちょっとした」を俯瞰・大局的に観る大切さを思います。
何か問題があった時、
どうしても私達は、抱える「問題」を「外」に見て、
「誰か・何か」の「大きな力」に頼り、問題解決しようと思います。
勿論、自分では、どうしても手の届かない部分はあり、
専門家の技術や智恵の手助けが必要な場合がありますが、
「事故」や「感染」と言ったものを除けば、
その原因は「自分」の「ささいな、ちょっとした」部分にあると思われます。
◆肉体改造レポート
*12.9 以前先生に押していただいた背中のポイントから上に伸びるベクトルと、頭の中を通る軸を一致させるには、とりあえずその一つの要素として、ソケイ部の深みが必要やな。つまり、骨盤時計と歩法ですわ。
参照1:杖の中心が自分の丹田と一致した状態を保つ
参照2:手首と股関節の動きが一致する
参照3:何か分からなければセンタリング呼吸法のブログで調べる
参照4:杖を持っての体内操作
参照5:手の皮膚感覚、足の皮膚感覚を肚で感じる
参照6:杖を触りまくる
参照7:自分の体を緩め 相手の変化に対応し誘導
参照8:投げない柔術 振らない剣術
by centeringkokyu
| 2013-12-09 00:43
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