2005年 06月 10日
脳と眼と呼吸 |
最近、脳に関する本を2冊読みました。1冊は、KNさんから教えて頂いた「進化しすぎた脳」池谷祐二著。もう1冊は、ネコ殿にお借りした「禅と脳」玄侑宗久×有田秀穂 対談。でした。
今回は主に「禅と脳」に書いてあった内容を中心に、私が考えた事をご紹介したいと思います。しかし、所詮どこかに書いてあったことの焼き直しのようなものですから、適当に読み流してください。
まず、眼に関して考えてみます。3Dの絵を見ると、眼は普通オートフォーカスなのですが、3Dの絵はピントが合うと何の絵か分かりませんね。脳は認識できない訳です。ところが、平行法や交差法を使うと、立体的な絵が浮き上がってきます。意識的にピントをずらさないと脳は、絵を認識できないのです。ということは、普段なにげなくオートフォーカスでものを見ているのを、マニュアルフォーカスに切り替える訓練をしているのではないでしょうか。この時に、後頭骨や仙骨の動きに意識を合わせてみるのも面白いかもしれません。そして、絵の中に部分的にでも、脳が像を認識してしまうと、いっぺんにオートフォーカスに切り替わってしまうような気がします。
昔テレビで、スーパーマンが隣の部屋を透視する場面がありました。平行法で遠くを見ようとすると、つい懐かしい映像を思い出してしまうのです。交差法の時は、勿論写楽の役者絵を思い出します。
次に呼吸についてですが、これも普段は無意識に呼吸していますね。何らかの呼吸法をするという事は、やっぱり意識的に呼吸を変化させる訓練です。そして、身体の中に空気が入ってくる時に、様々なイメージをするのです。気功などでも、両手の掌でボールを下に押し下げるような動きをしますが、その時に、ボールが任脉や督脉に触れているようなイメージをする事もあります。「禅と脳」では、『喫水線を描き続ける』という表現をしていました。息を吸う時や吐く時に伴う、身体の中の変化を意識することで、『体の内部感覚を出来るだけ精緻に感じようとする。ただし言語化しない』さらに、『ものや体を立体視している間は、言葉が浮かばない』とも書かれていました。
視線を意識的にマニュアルフォーカスにしようとすると、相当厳密な体内操作が必要になるようなので、確かに「あるがまま」をみようとします、観照するのです。とても理屈を考えている余裕はありません。
『新しいことを習慣化することで人は変わる』『何かの行をして身体化することで腹に落ちる』という項目もありました。
普段何気なく行動している内に、少しずつ身体の誤作動がインプットされ、どこかで何かの症状が現れるのだと思います。ですから、症状が現れた時に、速やかにリセットボタンを押せば良いわけです。ところが、身体にはリセットボタンというような便利なものは付いていませんので、一旦マニュアル操作に戻して、楽で合理的な身体操作をインプットし直す必要があるのではないでしょうか。
さらに、ものごとを『現在完了形でいうと効果がある』とも書かれていました。
センタリング呼吸法でいうと、意識的な呼吸をして、内蔵や背骨を動かし身体の伝達系を調整する。そして、呼吸が楽に行えるようになり、身体を立体視することによって観照する力がついてくる。呼吸の隙間で「ここが中心だ。出来た。」ということで、中心が出来、不必要な力が抜け、腑に落ちる。すると、感性が高まり、意志決定がしやすくなり、さらに何事も完成成就する喜びを積み重ねることができるようになる?
まるで、ナポレオン 昼の本のようになってきましたので、やめます。
配布資料030と成瀬雅春氏関連資料040・065・067・068・073などもご一読ください。
今回は主に「禅と脳」に書いてあった内容を中心に、私が考えた事をご紹介したいと思います。しかし、所詮どこかに書いてあったことの焼き直しのようなものですから、適当に読み流してください。
まず、眼に関して考えてみます。3Dの絵を見ると、眼は普通オートフォーカスなのですが、3Dの絵はピントが合うと何の絵か分かりませんね。脳は認識できない訳です。ところが、平行法や交差法を使うと、立体的な絵が浮き上がってきます。意識的にピントをずらさないと脳は、絵を認識できないのです。ということは、普段なにげなくオートフォーカスでものを見ているのを、マニュアルフォーカスに切り替える訓練をしているのではないでしょうか。この時に、後頭骨や仙骨の動きに意識を合わせてみるのも面白いかもしれません。そして、絵の中に部分的にでも、脳が像を認識してしまうと、いっぺんにオートフォーカスに切り替わってしまうような気がします。
昔テレビで、スーパーマンが隣の部屋を透視する場面がありました。平行法で遠くを見ようとすると、つい懐かしい映像を思い出してしまうのです。交差法の時は、勿論写楽の役者絵を思い出します。
次に呼吸についてですが、これも普段は無意識に呼吸していますね。何らかの呼吸法をするという事は、やっぱり意識的に呼吸を変化させる訓練です。そして、身体の中に空気が入ってくる時に、様々なイメージをするのです。気功などでも、両手の掌でボールを下に押し下げるような動きをしますが、その時に、ボールが任脉や督脉に触れているようなイメージをする事もあります。「禅と脳」では、『喫水線を描き続ける』という表現をしていました。息を吸う時や吐く時に伴う、身体の中の変化を意識することで、『体の内部感覚を出来るだけ精緻に感じようとする。ただし言語化しない』さらに、『ものや体を立体視している間は、言葉が浮かばない』とも書かれていました。
視線を意識的にマニュアルフォーカスにしようとすると、相当厳密な体内操作が必要になるようなので、確かに「あるがまま」をみようとします、観照するのです。とても理屈を考えている余裕はありません。
『新しいことを習慣化することで人は変わる』『何かの行をして身体化することで腹に落ちる』という項目もありました。
普段何気なく行動している内に、少しずつ身体の誤作動がインプットされ、どこかで何かの症状が現れるのだと思います。ですから、症状が現れた時に、速やかにリセットボタンを押せば良いわけです。ところが、身体にはリセットボタンというような便利なものは付いていませんので、一旦マニュアル操作に戻して、楽で合理的な身体操作をインプットし直す必要があるのではないでしょうか。
さらに、ものごとを『現在完了形でいうと効果がある』とも書かれていました。
センタリング呼吸法でいうと、意識的な呼吸をして、内蔵や背骨を動かし身体の伝達系を調整する。そして、呼吸が楽に行えるようになり、身体を立体視することによって観照する力がついてくる。呼吸の隙間で「ここが中心だ。出来た。」ということで、中心が出来、不必要な力が抜け、腑に落ちる。すると、感性が高まり、意志決定がしやすくなり、さらに何事も完成成就する喜びを積み重ねることができるようになる?
まるで、ナポレオン 昼の本のようになってきましたので、やめます。
配布資料030と成瀬雅春氏関連資料040・065・067・068・073などもご一読ください。
by centeringkokyu
| 2005-06-10 21:22
| 呼吸法中心塾