2013年 01月 22日
合気レベル計測器ついに完成か! |
☆ 佐川幸義先生談
柔術を形としてやるのが一番悪い。実際に全然使い物にならなくなってしまう。変化が大事なのだ。私の所のやり方はそうだ。一つの代表として形を教えても臨機応変に変化する。
どうも、皆形をまねようとして、形さえまねできれば良いと思っているようだがそうではない。形ではなく、形にあらわれないところに本当に大事なものがあるのだ。
☆養神館塩田剛三先生談
「覚えて忘れろ」というのは、前がこうだったから次もそうしようというのではなく、そういうこだわりを一度すべて忘れ、まったく新しい状況に対処するつもりで技に取り組めということなのです。そして、手順ではなく、“一瞬をつかまえる”感覚を身につけていけというわけです。
こうしてやろう、ああしてやろうという欲を棄てなければなりません。頭で判断して動くのではなく、五感の反応にまかせてしまったとき、初めて自由にさばくことができます。そうなったらもう、相手の攻撃の種類などは問題外になるのです。
☆琢磨会総務長森恕先生談
「手の内の合気」は難しい合気である。複雑であるから難しいというのではなく、むしろ逆に、一見単純素朴で、何でもない要領のようでありながら、あまりにもその呼吸が微妙であるために、それを理解して会得をすること、つまり習得することが困難なのである。
斯道の先輩は、師匠の手をとって、この合気をかけてもらい、そこで得られる掌の微妙な感触から、この秘伝を汲み取ろうとした。私も同じような努力をした。そして、ようやく得たものを、今、後輩に伝えようとしているのであるが、そこで、その説明と、伝えることの難しさを改めて痛感させられているところである。
合気をかけ、合気技を行なうためには、関節技で要求されるこのような力・技術・要領等は必要要件ではない。むしろ、邪魔になると言った方が早い。
合気をかけて、相手の本能的な無意識の動きを引き出すためには、相手の体を掴んではいけない、相手に力を加えてはいけない、少なくとも、力を加えられていると感じさせてはいけないと、初級者には常に教えている。
つまり、合気技と関節技は、技の原理が全く異なっており、極端に言えば、両者の術理は対極にあると言ってもよい。従って、関節技の稽古をどれ程重ねても、それだけでは絶対に合気には到達できないのである。(引用終了)
吾人は、上記諸先生方のお言葉を深く胸に刻み、苦節30数年合気探究に努めて参りました。
本当の合気とは、そして合気の定義に関しては、諸説ございますので、その件につきましては諸兄の判断にお任せし、「吾人が考えている処の合気レベル」を計測するための器具を開発したものであります。
吾人は、初夢に八岐大蛇を見たことを契機として、この器具の完成を見たのであります。今年は巳年。そして白蛇は、弁財天の 化身とされております。そこでこの器具を「無双愛器 オロチ」と名付けた次第であります。
この器具を使えば、合気レベルを計ること簡単明瞭、合気天狗の鼻をへし折ることは、朝飯前と申せましょう。
諸君が「無双愛器 オロチ」を使い、お互いの合気レベルを計測し合う姿が、目に浮かぶのであります。
そして、合気の探究に益々勤しまれんことを、ここに切に願うのであります。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
こんなことを夢想しているようでは、今年も合気の上達は望めないのでしょうねぇ〜
さて、このブログも2005年1月18日から始めましたので、9年目に入ります。
新しい資料は、あまり掲載できませんので、過去の記事を紹介するためにボケることに徹しております。【1月21日(月)のPCアクセス数は、 1,070でした。】
「心に残った記事」など、皆さんからの投稿を心よりお待ちしています。
3月までの稽古メニューは、配付資料077「歩法&剣術」をお読みください。
★おまけ
▼佐川幸義先生口伝から補足しておきます。
・手を張り肩の力を抜く。それは非常に難しいことであるが、これを乗り越えなければならぬ。
・相手の力を受けず力の入らないようにして攻めるのが合気である。ただ力を抜くだけではなく、くっ付けなければならない。合気は手の開き方でくっ付く。単に開いただけでは合気ではない。
・強いていえば円を一寸外すことである。円を一寸外し力の終末点を外せば力がなくなる。
・手の内の合気、小手の筋肉をもっと器用に動かすよう訓練すること。
・体之合気。肩で角度を外すこと。前、横、後ろ、いずれも同じ。
・どんな技でも技ができてから理論が作られた。したがって理論を考えてから技を覚えようとするのは間違いである。まず体をつくり、動けるようになるのが先決である。
・結局のところ(諸々の技は)合気之体を作ることが目的であって、合気之体ができればどのように動いても技になり合気になる。
・合気を使う体は糸を張ったように使う。どこまでも糸をピンと張ったように連続して行く。それをそうでないように見せて使う。
☆リンク先で更新された記事
・「手の内」資料
【このブログのPCアクセス数が突然倍増した原因かも?研究されてますね!】
・手と身体
柔術を形としてやるのが一番悪い。実際に全然使い物にならなくなってしまう。変化が大事なのだ。私の所のやり方はそうだ。一つの代表として形を教えても臨機応変に変化する。
どうも、皆形をまねようとして、形さえまねできれば良いと思っているようだがそうではない。形ではなく、形にあらわれないところに本当に大事なものがあるのだ。
☆養神館塩田剛三先生談
「覚えて忘れろ」というのは、前がこうだったから次もそうしようというのではなく、そういうこだわりを一度すべて忘れ、まったく新しい状況に対処するつもりで技に取り組めということなのです。そして、手順ではなく、“一瞬をつかまえる”感覚を身につけていけというわけです。
こうしてやろう、ああしてやろうという欲を棄てなければなりません。頭で判断して動くのではなく、五感の反応にまかせてしまったとき、初めて自由にさばくことができます。そうなったらもう、相手の攻撃の種類などは問題外になるのです。
☆琢磨会総務長森恕先生談
「手の内の合気」は難しい合気である。複雑であるから難しいというのではなく、むしろ逆に、一見単純素朴で、何でもない要領のようでありながら、あまりにもその呼吸が微妙であるために、それを理解して会得をすること、つまり習得することが困難なのである。
斯道の先輩は、師匠の手をとって、この合気をかけてもらい、そこで得られる掌の微妙な感触から、この秘伝を汲み取ろうとした。私も同じような努力をした。そして、ようやく得たものを、今、後輩に伝えようとしているのであるが、そこで、その説明と、伝えることの難しさを改めて痛感させられているところである。
合気をかけ、合気技を行なうためには、関節技で要求されるこのような力・技術・要領等は必要要件ではない。むしろ、邪魔になると言った方が早い。
合気をかけて、相手の本能的な無意識の動きを引き出すためには、相手の体を掴んではいけない、相手に力を加えてはいけない、少なくとも、力を加えられていると感じさせてはいけないと、初級者には常に教えている。
つまり、合気技と関節技は、技の原理が全く異なっており、極端に言えば、両者の術理は対極にあると言ってもよい。従って、関節技の稽古をどれ程重ねても、それだけでは絶対に合気には到達できないのである。(引用終了)
吾人は、上記諸先生方のお言葉を深く胸に刻み、苦節30数年合気探究に努めて参りました。
本当の合気とは、そして合気の定義に関しては、諸説ございますので、その件につきましては諸兄の判断にお任せし、「吾人が考えている処の合気レベル」を計測するための器具を開発したものであります。
吾人は、初夢に八岐大蛇を見たことを契機として、この器具の完成を見たのであります。今年は巳年。そして白蛇は、弁財天の 化身とされております。そこでこの器具を「無双愛器 オロチ」と名付けた次第であります。
この器具を使えば、合気レベルを計ること簡単明瞭、合気天狗の鼻をへし折ることは、朝飯前と申せましょう。
諸君が「無双愛器 オロチ」を使い、お互いの合気レベルを計測し合う姿が、目に浮かぶのであります。
そして、合気の探究に益々勤しまれんことを、ここに切に願うのであります。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
こんなことを夢想しているようでは、今年も合気の上達は望めないのでしょうねぇ〜
さて、このブログも2005年1月18日から始めましたので、9年目に入ります。
新しい資料は、あまり掲載できませんので、過去の記事を紹介するためにボケることに徹しております。【1月21日(月)のPCアクセス数は、 1,070でした。】
「心に残った記事」など、皆さんからの投稿を心よりお待ちしています。
3月までの稽古メニューは、配付資料077「歩法&剣術」をお読みください。
★おまけ
▼佐川幸義先生口伝から補足しておきます。
・手を張り肩の力を抜く。それは非常に難しいことであるが、これを乗り越えなければならぬ。
・相手の力を受けず力の入らないようにして攻めるのが合気である。ただ力を抜くだけではなく、くっ付けなければならない。合気は手の開き方でくっ付く。単に開いただけでは合気ではない。
・強いていえば円を一寸外すことである。円を一寸外し力の終末点を外せば力がなくなる。
・手の内の合気、小手の筋肉をもっと器用に動かすよう訓練すること。
・体之合気。肩で角度を外すこと。前、横、後ろ、いずれも同じ。
・どんな技でも技ができてから理論が作られた。したがって理論を考えてから技を覚えようとするのは間違いである。まず体をつくり、動けるようになるのが先決である。
・結局のところ(諸々の技は)合気之体を作ることが目的であって、合気之体ができればどのように動いても技になり合気になる。
・合気を使う体は糸を張ったように使う。どこまでも糸をピンと張ったように連続して行く。それをそうでないように見せて使う。
☆リンク先で更新された記事
・「手の内」資料
【このブログのPCアクセス数が突然倍増した原因かも?研究されてますね!】
・手と身体
by centeringkokyu
| 2013-01-22 00:08
| 合気観照塾