2012年 08月 09日
興味・関心の任せるがままにヒマをつぶすことが重要 |
▼ 理科離れに関するいくつかの問題 から抜粋してご紹介します。
【理科離れの原因】
それでは,現在の人々の学習意欲が低下し,結果として理科から離れていく人が増加しているのはなぜなのか,理科に限定して考えを進めてみよう。理科的指向性を生み出す上で最も重要なのは,子どもの置かれた場と時間である。現代の子どもは,場・時間ともにその多くを奪われている。
1)テレビ視聴時間の増加: 現在の若者は幼少の頃からテレビを見続けている。テレビ視聴(及びコンピュータゲーム類)によって失われた"創造的作業時間"は計り知れないだろう。科学番組というものもあるが,それらが理科への興味を増す材料になることになるとは思われない。ただ単に「もっと面白い理科(科学)番組を見たい」という興味が増すだけである。もしテレビ視聴によって理科そのものへの興味が増す人がいたとすれば,その人はもともと理科への興味を持っていた,科学番組が理解できる人である。テレビ時間の増加には家庭環境が深く関わっているであろうから,子どもが自発的にテレビ漬けから抜け出るのは容易ではない。
幼少期には膨大なヒマがある。このヒマな時間をいかにしてつぶすかが子ども時代の重要なしかも創造的な課題である。「次に何をするか」を考え続けた退屈な幼少期を思い出す方々も多いのではないだろうか。このときに昆虫採集でもラジオ分解でもよい,興味・関心の任せるがままにヒマをつぶすこと(原体験を重ねること)が極めて重要であり,この体験が以後の興味・関心形成に決定的に関わってくる。"理科少年"あるいは"理科的指向性"はこうして生まれる。そして「ああ,あのとき楽しかったな」の思いが将来の勉強や研究の動機になってゆくのである。
理科的発想を自由に使いこなし,科学的な判断を適切に働かせながら充実した生活を過ごしている人は研究者に限らずたくさんいる。これらの人々から話を聞くと,すでに小~中学校のときに自発的に電子回路を製作したり,カメラを作ったり,気象観測を行ったりと,理科的に重要な体験をしており,それらの体験が忘れがたい記憶(理科ごころ?)となり以後の進学や就職に大きな影響を与えているという。大事なことは,この理科的に重要な体験というのは,学校の授業時間以外に経験される可能性が高いということである。自身の興味関心を動機として創造的に物事に取り組んでいるからである。
テレビ視聴はこのような子どもの興味・関心の形成に必要な時間を奪い,創造性の萌芽に対して悪影響を与えている。与えられ続けるテレビの垂れ流し情報を浴びているだけでは,有用な情報を選択的に取り込む能力はなかなか身に付かない。
2)遊び場の減少: テレビ視聴に連動して深刻な問題は,遊び場の劇的な減少である。1955年から1990年の間,都市部における子どもの遊び空間は1/40に減少したという。広場がなくなり,空き地がなくなり,河川は塞がれ,道路はクルマで占有された。この結果,子どもは屋内に封じ込められるようになった。これに連動してテレビの視聴時間は増加し,また,コンピュータゲームは爆発的に増加するに至った。この結果,子どもの遊びはモニタに応答する単調なものとなり,屋外で多様な体験をする機会が奪われていった。
3)カネを何に使っているか: つくづく不思議に思うことは日本の親の子どもに対するカネの使い方である。私立の保育園,小中高の学校,塾,受験勉強,大学に多額の投資を惜しまない親は多い。子どもにせがまれればゲームも買ってあげる。しかし例えば望遠鏡や顕微鏡-玩具の類ではない-を買ったりする親の話はあまり聞かない。小学生であれば,月に数万円かかる塾に一年間通えば数十万円の出費である。一方,数十万円の上等な望遠鏡・顕微鏡といくらかの図鑑類があれば,かなりの確率でさまざまな理科に関する知識・体験が自然と得られるであろう。どちらの教育力が大きいかは一考に値すると思うのは筆者だけであろうか。なお,念のために書いておけば,筆者は望遠鏡や図鑑などを「買い与えよ」と言っているのではない。子どもの周【理科離れを支える原因】囲にそれらのモノが自然な形で存在していること自体に意味があると言っているのである。日本の親の多くはこのようなことをせず,塾に多額のカネを払い,同時に子どもから自由な時間を奪っているのである。
4)親が理科に興味を持っているか: 子どもの興味・関心を育てる上で重要なことは,傍らに,子どもの感動に共感できる人が存在することである。学習意欲の育成は教育機関だけでなされるものではない。家庭環境も重要であることは論を待たない。現在の親は理科的事項に興味を持っているであろうか。テレビなどのメディアに時間を奪われていないだろうか。
5)間接体験の先行: 現在は何でもメディアを通じて把握できる時代である。自分が行う体験の多くはすでにテレビを通じて知っている。このことが生の体験の新鮮な驚きを失わせ,「テレビと同じだ!」という程度の「感動」に格下げされ,直接体験として認識されるべきものが,テレビのメディア体験類似のものとして整理される可能性が増していることを指摘しておきたい。
6)目的意識の喪失: 宇宙開発にしろ,ヒトゲノム計画にしろ,その全容と意義をつかむのにかなり専門的な知識を要する。その専門的な知識を得るための動機をどこに求めたらよいのであろうか。これは「理科離れ」とされている子どもばかりでなく,オトナにも聞いてみたい問題である。(中略)
【理科離れを支える原因】
理解しにくい教科書で「勉強させられ」た上に,その"理解度"を入試により試され,合否判定という序列がつけられる。教員は生徒が大学に合格することができるように,それが学問とは遠いことを知りつつも,教科書の内容を一生懸命に教える。大学入試の名目の下に半ば強制的に勉強させられた生徒の多くは,受験勉強の理科が学問であると思いこむ。魅力を感じなかった生徒は文系指向になり,化学の得意な生徒は化学系に進学しようとし,物理が得意な生徒は物理系に進もうとする。理系の大学に進学して,そこで初めて高校の勉強から想像していた大学像が誤っていたことに気づく・・・。何をすればよいか分からず,目的を喪失する。こんな例がずっと繰り返されてきた。このような状況も,理科的指向性が育ちにくい原因となっているのではないだろうか。
#楽隠居です
最近聞いた話ですが、ある小学校で、低学年の授業の時にシャボン玉を作らせたところ、父兄から、「勉強と関係ないことはやらせないで欲しい。」というクレームがあったということでした。
学校の先生は、教科書準拠を求められるので、仕方ないのでしょうが、どちらかというと親の教育が出来ていないのかもしれません。その親たちの世代の親は、私たちの世代ですから・・・
何かを伝えるというのは、難しいものだと思います。先に知識があり、その知識の中でしかモノを考えなくなってしまうと、発想の転換は至難の業ということになります。分かっていると思ってしまうと、よく観察できなくなりますし、感じているつもりになってしまいがちです。ですから、稽古では毎回切り口を変えようと思っています。していることは同じだと気づいていただくことが目的です。
さて、先週の観照塾の稽古帰りに、S川さんが「今日のテーマ『手解き技から合気へ』は、合気二刀剣に繋がっているんですよね! 永年稽古しているとネタ元だけは分かるんですよ。」と言われました。まさに図星でした。
そこで、今週の観照塾のテーマは「合気二刀剣の手の内と呼吸」ということにしようと思います。
土曜日は、バランス☆運動療法初級のレッスンもありますので、トータルで体幹を体感していただけるようなレッスンにしたいと思って考え中です。真夏ですから耐寒訓練にはなりませんが、身体がすでに退化しているかもしれませんネ!
センタリング呼吸法椅子編のDVDの中で、何故か合気二刀剣を使っている場面があります。呼吸法との関係を予測しておいていただくと有り難き幸せで御座いまする。
お断りしておきますが、私は合気二刀剣を習ったことはありませんし、科学的に合気二刀剣を説明できるわけでもありません。私の場合は常に「合気の蚊が喰う」でしかありません。ぼんやりと私の与太話を聞いていると、蚊の餌食になりますぞ!ご注意召されい。夏恒例のネタを使うことができました。ありがとうございました。
参照1:中学で「理科離れ」 小中とも実験・考察に課題
参照2:顎の位置と股関節運動
参照3:教えるということはヒントを与えるのにすぎない
参照4:自分自身の細かい観察が大事
参照5:カンニングOK?
参照6:すべては合い 慈問(愚問?)自答のくり返し
参照7:正しいという観念が正しいかどうかを考えてみる
参照8:教えないから伸びる
参照9:何処がツボ?
参照10:泡の科学
参照11:工夫する楽しさ
☆リンク先で更新された記事
・脚がむくむので…。
・力を抜く。
・頸の位置。
・天晴会10回目は総復習です!
・講習メモ10
・夕焼け空が大好きです♪
・8月8日はタコ祭り@ドリたこ コナモン協会
・アンドロイドシアター
・『ボーンマンの約束 遺骨収容人 70年目の真実』
【理科離れの原因】
それでは,現在の人々の学習意欲が低下し,結果として理科から離れていく人が増加しているのはなぜなのか,理科に限定して考えを進めてみよう。理科的指向性を生み出す上で最も重要なのは,子どもの置かれた場と時間である。現代の子どもは,場・時間ともにその多くを奪われている。
1)テレビ視聴時間の増加: 現在の若者は幼少の頃からテレビを見続けている。テレビ視聴(及びコンピュータゲーム類)によって失われた"創造的作業時間"は計り知れないだろう。科学番組というものもあるが,それらが理科への興味を増す材料になることになるとは思われない。ただ単に「もっと面白い理科(科学)番組を見たい」という興味が増すだけである。もしテレビ視聴によって理科そのものへの興味が増す人がいたとすれば,その人はもともと理科への興味を持っていた,科学番組が理解できる人である。テレビ時間の増加には家庭環境が深く関わっているであろうから,子どもが自発的にテレビ漬けから抜け出るのは容易ではない。
幼少期には膨大なヒマがある。このヒマな時間をいかにしてつぶすかが子ども時代の重要なしかも創造的な課題である。「次に何をするか」を考え続けた退屈な幼少期を思い出す方々も多いのではないだろうか。このときに昆虫採集でもラジオ分解でもよい,興味・関心の任せるがままにヒマをつぶすこと(原体験を重ねること)が極めて重要であり,この体験が以後の興味・関心形成に決定的に関わってくる。"理科少年"あるいは"理科的指向性"はこうして生まれる。そして「ああ,あのとき楽しかったな」の思いが将来の勉強や研究の動機になってゆくのである。
理科的発想を自由に使いこなし,科学的な判断を適切に働かせながら充実した生活を過ごしている人は研究者に限らずたくさんいる。これらの人々から話を聞くと,すでに小~中学校のときに自発的に電子回路を製作したり,カメラを作ったり,気象観測を行ったりと,理科的に重要な体験をしており,それらの体験が忘れがたい記憶(理科ごころ?)となり以後の進学や就職に大きな影響を与えているという。大事なことは,この理科的に重要な体験というのは,学校の授業時間以外に経験される可能性が高いということである。自身の興味関心を動機として創造的に物事に取り組んでいるからである。
テレビ視聴はこのような子どもの興味・関心の形成に必要な時間を奪い,創造性の萌芽に対して悪影響を与えている。与えられ続けるテレビの垂れ流し情報を浴びているだけでは,有用な情報を選択的に取り込む能力はなかなか身に付かない。
2)遊び場の減少: テレビ視聴に連動して深刻な問題は,遊び場の劇的な減少である。1955年から1990年の間,都市部における子どもの遊び空間は1/40に減少したという。広場がなくなり,空き地がなくなり,河川は塞がれ,道路はクルマで占有された。この結果,子どもは屋内に封じ込められるようになった。これに連動してテレビの視聴時間は増加し,また,コンピュータゲームは爆発的に増加するに至った。この結果,子どもの遊びはモニタに応答する単調なものとなり,屋外で多様な体験をする機会が奪われていった。
3)カネを何に使っているか: つくづく不思議に思うことは日本の親の子どもに対するカネの使い方である。私立の保育園,小中高の学校,塾,受験勉強,大学に多額の投資を惜しまない親は多い。子どもにせがまれればゲームも買ってあげる。しかし例えば望遠鏡や顕微鏡-玩具の類ではない-を買ったりする親の話はあまり聞かない。小学生であれば,月に数万円かかる塾に一年間通えば数十万円の出費である。一方,数十万円の上等な望遠鏡・顕微鏡といくらかの図鑑類があれば,かなりの確率でさまざまな理科に関する知識・体験が自然と得られるであろう。どちらの教育力が大きいかは一考に値すると思うのは筆者だけであろうか。なお,念のために書いておけば,筆者は望遠鏡や図鑑などを「買い与えよ」と言っているのではない。子どもの周【理科離れを支える原因】囲にそれらのモノが自然な形で存在していること自体に意味があると言っているのである。日本の親の多くはこのようなことをせず,塾に多額のカネを払い,同時に子どもから自由な時間を奪っているのである。
4)親が理科に興味を持っているか: 子どもの興味・関心を育てる上で重要なことは,傍らに,子どもの感動に共感できる人が存在することである。学習意欲の育成は教育機関だけでなされるものではない。家庭環境も重要であることは論を待たない。現在の親は理科的事項に興味を持っているであろうか。テレビなどのメディアに時間を奪われていないだろうか。
5)間接体験の先行: 現在は何でもメディアを通じて把握できる時代である。自分が行う体験の多くはすでにテレビを通じて知っている。このことが生の体験の新鮮な驚きを失わせ,「テレビと同じだ!」という程度の「感動」に格下げされ,直接体験として認識されるべきものが,テレビのメディア体験類似のものとして整理される可能性が増していることを指摘しておきたい。
6)目的意識の喪失: 宇宙開発にしろ,ヒトゲノム計画にしろ,その全容と意義をつかむのにかなり専門的な知識を要する。その専門的な知識を得るための動機をどこに求めたらよいのであろうか。これは「理科離れ」とされている子どもばかりでなく,オトナにも聞いてみたい問題である。(中略)
【理科離れを支える原因】
理解しにくい教科書で「勉強させられ」た上に,その"理解度"を入試により試され,合否判定という序列がつけられる。教員は生徒が大学に合格することができるように,それが学問とは遠いことを知りつつも,教科書の内容を一生懸命に教える。大学入試の名目の下に半ば強制的に勉強させられた生徒の多くは,受験勉強の理科が学問であると思いこむ。魅力を感じなかった生徒は文系指向になり,化学の得意な生徒は化学系に進学しようとし,物理が得意な生徒は物理系に進もうとする。理系の大学に進学して,そこで初めて高校の勉強から想像していた大学像が誤っていたことに気づく・・・。何をすればよいか分からず,目的を喪失する。こんな例がずっと繰り返されてきた。このような状況も,理科的指向性が育ちにくい原因となっているのではないだろうか。
#楽隠居です
最近聞いた話ですが、ある小学校で、低学年の授業の時にシャボン玉を作らせたところ、父兄から、「勉強と関係ないことはやらせないで欲しい。」というクレームがあったということでした。
学校の先生は、教科書準拠を求められるので、仕方ないのでしょうが、どちらかというと親の教育が出来ていないのかもしれません。その親たちの世代の親は、私たちの世代ですから・・・
何かを伝えるというのは、難しいものだと思います。先に知識があり、その知識の中でしかモノを考えなくなってしまうと、発想の転換は至難の業ということになります。分かっていると思ってしまうと、よく観察できなくなりますし、感じているつもりになってしまいがちです。ですから、稽古では毎回切り口を変えようと思っています。していることは同じだと気づいていただくことが目的です。
さて、先週の観照塾の稽古帰りに、S川さんが「今日のテーマ『手解き技から合気へ』は、合気二刀剣に繋がっているんですよね! 永年稽古しているとネタ元だけは分かるんですよ。」と言われました。まさに図星でした。
そこで、今週の観照塾のテーマは「合気二刀剣の手の内と呼吸」ということにしようと思います。
土曜日は、バランス☆運動療法初級のレッスンもありますので、トータルで体幹を体感していただけるようなレッスンにしたいと思って考え中です。真夏ですから耐寒訓練にはなりませんが、身体がすでに退化しているかもしれませんネ!
センタリング呼吸法椅子編のDVDの中で、何故か合気二刀剣を使っている場面があります。呼吸法との関係を予測しておいていただくと有り難き幸せで御座いまする。
お断りしておきますが、私は合気二刀剣を習ったことはありませんし、科学的に合気二刀剣を説明できるわけでもありません。私の場合は常に「合気の蚊が喰う」でしかありません。ぼんやりと私の与太話を聞いていると、蚊の餌食になりますぞ!ご注意召されい。夏恒例のネタを使うことができました。ありがとうございました。
参照1:中学で「理科離れ」 小中とも実験・考察に課題
参照2:顎の位置と股関節運動
参照3:教えるということはヒントを与えるのにすぎない
参照4:自分自身の細かい観察が大事
参照5:カンニングOK?
参照6:すべては合い 慈問(愚問?)自答のくり返し
参照7:正しいという観念が正しいかどうかを考えてみる
参照8:教えないから伸びる
参照9:何処がツボ?
参照10:泡の科学
参照11:工夫する楽しさ
☆リンク先で更新された記事
・脚がむくむので…。
・力を抜く。
・頸の位置。
・天晴会10回目は総復習です!
・講習メモ10
・夕焼け空が大好きです♪
・8月8日はタコ祭り@ドリたこ コナモン協会
・アンドロイドシアター
・『ボーンマンの約束 遺骨収容人 70年目の真実』
by centeringkokyu
| 2012-08-09 20:23
| 社会