2012年 06月 17日
教えるということはヒントを与えるのにすぎない |
▼どうすれば楽に動けて身体の隅々まで意識できるか
体操を創ったのは1988年頃でした。円運動から上下運動主体に変わったのが1992年だったと思います。その後も、私の感覚が変化するにつれて微妙に変わってきています。しかし、どのような目的で体操を行い、それが技の中でどういう作用をしているのかを、常に感じながら稽古しなければ何の役にも立たないはずです。
・ センタリング
・ 呼吸
・ 体軸の細さとしなやかさ
・ 体内のつながり
・ 手の形
・ イメージと動作の一致
・ 肚と腰
・ 薄筋の感覚
・ 手足の感覚
・ 股関節
・ 高さと深さと広がり
・ 作用と反作用
など、毎年微妙に感覚が変わるのが面白いと思います。
絶対に正しいということなんか有り得ませんから、どうすれば楽に動けて身体の隅々まで意識できるようになるか、自分を変えることが大切だと考えています。
ですから、一年や二年で何かが分かって、合気を掛けられるようになるという可能性は、ほとんど無いと考えて頂いた方がよいかもしれません。
▼仮想対談2
S:いくら教えても、習っただけのものはすぐ忘れてしまうのだ。しかし、自得したものは決して忘れず自分のものとなる。要するに、教えるということはヒントを与えるのにすぎない。自得しなくてはならない。とくに合気は一種の内部感覚で自得しなければならない。
S:合気は仮に教わったとしても、一年やそこらで出来るというものではない。体を鍛えないで色々考えたとしても出来るわけがない。それに合気は本来、口で説明を受けるものではなく、やられた感じをもとに考え、自分のものとしていく種類のものなのだ。
▼独自のやり方を改良できる人
イチローは、画一的な練習を嫌った。だから、自分でまず試してみて、効果がなかったら二度とその練習をすることはなかったという。
最初から200球ボールを打つとか、素振り200回とか決めてやる練習は、あまり好きじやないと、イチロー自身語っている。うまく打てたら、10球でやめていい。素振りも、腰の回転や体のキレのチェックポイントさえ持っていれば、数にこだわる必要はないという考えからである。
▼肉体改造レポート
*6.17 比較的長い間、相手を持ち上げる事がどうも上手く出来ないというか、出来そうな感覚が身体になかった。それを鼠経部のくわえ込みが浅いぶん、奥行きが無い為だと自分なりに解釈していた。昨日の道場の練習にて先生に「尻をしめて、尻をあげて、尾骨をあげて、第五腰椎を入れる」と指示をいただき、まだ甘いなりに、相手を浮かせれそうな気配を感じた。それは鼠経部の奥行き感という面的なブツというよりは、原動力源と相手との・・、付き気味の付かず離れず感。「直結では無い」と脳がゆずりまへんねん。さてさて、ほんでもってや。先生の「骨盤時計に始まり骨盤時計に終わる」との言葉を以ってすれば、自分はまだ始まって無かった。つなぎのタイツ着てベロからやり直しや。
参照1:ばっちあたり?
参照2:正しい姿勢
参照3:骨盤時計に始まり骨盤時計に終わる
参照4:喰い込み・喰い合わせ
参照5:秘伝練功法
☆リンク先で更新された記事
・どこででも
・呼吸日記 6/17
・「One Step Beyond」
・また発見!
・呼吸日記6/18
・訳が解らないぐらいが丁度よい?
・「照顧脚下」
体操を創ったのは1988年頃でした。円運動から上下運動主体に変わったのが1992年だったと思います。その後も、私の感覚が変化するにつれて微妙に変わってきています。しかし、どのような目的で体操を行い、それが技の中でどういう作用をしているのかを、常に感じながら稽古しなければ何の役にも立たないはずです。
・ センタリング
・ 呼吸
・ 体軸の細さとしなやかさ
・ 体内のつながり
・ 手の形
・ イメージと動作の一致
・ 肚と腰
・ 薄筋の感覚
・ 手足の感覚
・ 股関節
・ 高さと深さと広がり
・ 作用と反作用
など、毎年微妙に感覚が変わるのが面白いと思います。
絶対に正しいということなんか有り得ませんから、どうすれば楽に動けて身体の隅々まで意識できるようになるか、自分を変えることが大切だと考えています。
ですから、一年や二年で何かが分かって、合気を掛けられるようになるという可能性は、ほとんど無いと考えて頂いた方がよいかもしれません。
▼仮想対談2
S:いくら教えても、習っただけのものはすぐ忘れてしまうのだ。しかし、自得したものは決して忘れず自分のものとなる。要するに、教えるということはヒントを与えるのにすぎない。自得しなくてはならない。とくに合気は一種の内部感覚で自得しなければならない。
S:合気は仮に教わったとしても、一年やそこらで出来るというものではない。体を鍛えないで色々考えたとしても出来るわけがない。それに合気は本来、口で説明を受けるものではなく、やられた感じをもとに考え、自分のものとしていく種類のものなのだ。
▼独自のやり方を改良できる人
イチローは、画一的な練習を嫌った。だから、自分でまず試してみて、効果がなかったら二度とその練習をすることはなかったという。
最初から200球ボールを打つとか、素振り200回とか決めてやる練習は、あまり好きじやないと、イチロー自身語っている。うまく打てたら、10球でやめていい。素振りも、腰の回転や体のキレのチェックポイントさえ持っていれば、数にこだわる必要はないという考えからである。
▼肉体改造レポート
*6.17 比較的長い間、相手を持ち上げる事がどうも上手く出来ないというか、出来そうな感覚が身体になかった。それを鼠経部のくわえ込みが浅いぶん、奥行きが無い為だと自分なりに解釈していた。昨日の道場の練習にて先生に「尻をしめて、尻をあげて、尾骨をあげて、第五腰椎を入れる」と指示をいただき、まだ甘いなりに、相手を浮かせれそうな気配を感じた。それは鼠経部の奥行き感という面的なブツというよりは、原動力源と相手との・・、付き気味の付かず離れず感。「直結では無い」と脳がゆずりまへんねん。さてさて、ほんでもってや。先生の「骨盤時計に始まり骨盤時計に終わる」との言葉を以ってすれば、自分はまだ始まって無かった。つなぎのタイツ着てベロからやり直しや。
参照1:ばっちあたり?
参照2:正しい姿勢
参照3:骨盤時計に始まり骨盤時計に終わる
参照4:喰い込み・喰い合わせ
参照5:秘伝練功法
☆リンク先で更新された記事
・どこででも
・呼吸日記 6/17
・「One Step Beyond」
・また発見!
・呼吸日記6/18
・訳が解らないぐらいが丁度よい?
・「照顧脚下」
by centeringkokyu
| 2012-06-17 23:18
| 合気観照塾