2005年 05月 13日
不貞寝抄 5/13 |
僕をさがしに
本屋にそんな絵本があった様に記憶しています。パックマンの様な「僕」がころこ
ろ転がりながら「自分」を探し、発見すると言う内容でした。
今年で私も暦を3周目・・・1周目も2周目も「大きな挫折」で節目を迎えたので、
今回の様に「自分自身の扉が開いた」様な節目は、ただ「感無量」です。
そして、最近・・・私は、初めて「自分の右股関節」に出会いました。
実は、私は上手くしゃがむ事が出来ません。赤ちゃんの頃からハイハイが出来ず、
お尻歩きばかりだったと聞いています。
他人から見て「なんて事はない」・・・「股関節が動かせないない」が、私にとって
は、その動作だけでなく、必要以上、予想以上、意外な程に私の意識や気持ち、性格や可能性にまで大きな影響を与えて来たと思います。
そして・・・それは決して私だけの事でもない事を、K野さんやY本先生のアシスタ
ントをさせて頂き、自分の問題意識と共に「第三者の問題意識」と付き合わせて頂く中で気付かせて頂きました。
「私やこの人を取り巻くどんなバランスが今のこの人を作っているのだろう?」
「私やこの人にとって自然なバランスとは何なのだろう?」
そんな事を日々考えながら、自分自身を「弁証」している内に、「自分の知らな
かった自分」や「自分の中に答えはある」「良くも悪くも自業自得」・・・などと言う事に少しずつ気付いてきて・・・ようやく「自分の右股関節」にお会いした次第です。
「僕をさがしに」・・・これからもころころ転がりながら、私は次にどんな私と会う
んでしょう・・・
不貞寝も出来ず
前述の通り、「自分自身の扉が開き」ますと・・・アシスト(K野さんやY本先生
の)に加え、ここ最近、色々なジャンルの方々や本、モノとの出会いの機会や密度が急激に増し、全く今年はどうなっているんだろうと思う位「濃〜い」学びの日々を送らせて頂いております。
とにかく、あらゆる方向や位置から「色々なものの見方や捉え方、問題意識」を学
ばせて頂ける反面、こちらも「見られる事が多くなり、常に一定の結果を出さなくてはならない」と言うのが現状で、それは誠にありがたいし、正直、厳しくもあります。
本当に「不貞寝もしていられない」です。
ただ、そう思う気持ちに何がしかの「プライドや地位」は入る余地はなく、次第次
第に「自分なり」が見えて来て、それに従い、自分自身に対しての「権利と義務」、「自己責任」と言うものを強く感じ始めているから?・・・と思っています。
後は、「自然に行く着く所まで、どう歩み続けるか?」でしょうか?
そんな状況で今ひしひしと感じている事は・・・自分の前を歩いた人・歩いている人
の「基本の深さ」で、何か「途方もない」、「果てしない」、「何も無い」ものを感じます。
例えば、大正から昭和期に世界的に起こった「ボディーワーク」や「治療・健康
法」、「霊術」、「宗教」等を見ると別にみんなで示し合わせた訳でもなく、必然と流れ、必要のままに「合従連衡」し、「百家争乱」・・・思わず「凄い!」と驚嘆してしまいます。
特に、基礎的な事は総じて違いが無く、それを高い感度や精度、レベルで捉えられ
ている事が恐ろしくもあります。
基礎と言えば・・・先日、S・ブラウンのステップが素晴らしいと言うお話をしまし
たが、見た目の優雅さを支える基本や動作は凄まじいもので、本当に「水辺を漂う白鳥の足」の例えにぴったり当てはまります。
実際、私はその訓練を受けているのですが、踵は地面とすれすれになっても決して
下ろさず、つま先は指の先まで丁寧に地面をプレスし、ゆっくり丁寧に左右の足を踏み変えながら、リズムと足の踏み変えのタイミングにぴったりシンクロさせる為、タイトに全身を引き締めます。
極めて単純な動きですが、1曲(5分位)が終われば意識と身体がヘロヘロです。
私としては、「センタリング呼吸法」等のお陰で少しは出来るつもりでいました
が、とんでもない!・・・ひたすら正確に芯からシンプルに動く動作にとてもついていけず、目の前が「真っ白」になり、意識がす〜っと遠のいて自分が倒れて行くのを感じました。
そこに・・・「プロ」の「基礎や取り組み、スタンス」を感じました。
お陰さまで、当然、未だ未だ練習中で上手く出来ませんが「センタリング呼吸法」
の「つま先・踵」や「歩法」がもっと深く見えて来ました。
実際、K野さんの「歩み」は普段から足の先まで意識と動作がピンピンです。興味
がおありの方は一度ご覧になり、真似してみて下さい。(多分、今までにそこに深い意味を感じて、見ているのは、他にM井さんしかいないはずです)。
私も真似してみます・・・しかし、とにかくやる事が多過ぎて「不貞寝」している暇
もありません。
本屋にそんな絵本があった様に記憶しています。パックマンの様な「僕」がころこ
ろ転がりながら「自分」を探し、発見すると言う内容でした。
今年で私も暦を3周目・・・1周目も2周目も「大きな挫折」で節目を迎えたので、
今回の様に「自分自身の扉が開いた」様な節目は、ただ「感無量」です。
そして、最近・・・私は、初めて「自分の右股関節」に出会いました。
実は、私は上手くしゃがむ事が出来ません。赤ちゃんの頃からハイハイが出来ず、
お尻歩きばかりだったと聞いています。
他人から見て「なんて事はない」・・・「股関節が動かせないない」が、私にとって
は、その動作だけでなく、必要以上、予想以上、意外な程に私の意識や気持ち、性格や可能性にまで大きな影響を与えて来たと思います。
そして・・・それは決して私だけの事でもない事を、K野さんやY本先生のアシスタ
ントをさせて頂き、自分の問題意識と共に「第三者の問題意識」と付き合わせて頂く中で気付かせて頂きました。
「私やこの人を取り巻くどんなバランスが今のこの人を作っているのだろう?」
「私やこの人にとって自然なバランスとは何なのだろう?」
そんな事を日々考えながら、自分自身を「弁証」している内に、「自分の知らな
かった自分」や「自分の中に答えはある」「良くも悪くも自業自得」・・・などと言う事に少しずつ気付いてきて・・・ようやく「自分の右股関節」にお会いした次第です。
「僕をさがしに」・・・これからもころころ転がりながら、私は次にどんな私と会う
んでしょう・・・
不貞寝も出来ず
前述の通り、「自分自身の扉が開き」ますと・・・アシスト(K野さんやY本先生
の)に加え、ここ最近、色々なジャンルの方々や本、モノとの出会いの機会や密度が急激に増し、全く今年はどうなっているんだろうと思う位「濃〜い」学びの日々を送らせて頂いております。
とにかく、あらゆる方向や位置から「色々なものの見方や捉え方、問題意識」を学
ばせて頂ける反面、こちらも「見られる事が多くなり、常に一定の結果を出さなくてはならない」と言うのが現状で、それは誠にありがたいし、正直、厳しくもあります。
本当に「不貞寝もしていられない」です。
ただ、そう思う気持ちに何がしかの「プライドや地位」は入る余地はなく、次第次
第に「自分なり」が見えて来て、それに従い、自分自身に対しての「権利と義務」、「自己責任」と言うものを強く感じ始めているから?・・・と思っています。
後は、「自然に行く着く所まで、どう歩み続けるか?」でしょうか?
そんな状況で今ひしひしと感じている事は・・・自分の前を歩いた人・歩いている人
の「基本の深さ」で、何か「途方もない」、「果てしない」、「何も無い」ものを感じます。
例えば、大正から昭和期に世界的に起こった「ボディーワーク」や「治療・健康
法」、「霊術」、「宗教」等を見ると別にみんなで示し合わせた訳でもなく、必然と流れ、必要のままに「合従連衡」し、「百家争乱」・・・思わず「凄い!」と驚嘆してしまいます。
特に、基礎的な事は総じて違いが無く、それを高い感度や精度、レベルで捉えられ
ている事が恐ろしくもあります。
基礎と言えば・・・先日、S・ブラウンのステップが素晴らしいと言うお話をしまし
たが、見た目の優雅さを支える基本や動作は凄まじいもので、本当に「水辺を漂う白鳥の足」の例えにぴったり当てはまります。
実際、私はその訓練を受けているのですが、踵は地面とすれすれになっても決して
下ろさず、つま先は指の先まで丁寧に地面をプレスし、ゆっくり丁寧に左右の足を踏み変えながら、リズムと足の踏み変えのタイミングにぴったりシンクロさせる為、タイトに全身を引き締めます。
極めて単純な動きですが、1曲(5分位)が終われば意識と身体がヘロヘロです。
私としては、「センタリング呼吸法」等のお陰で少しは出来るつもりでいました
が、とんでもない!・・・ひたすら正確に芯からシンプルに動く動作にとてもついていけず、目の前が「真っ白」になり、意識がす〜っと遠のいて自分が倒れて行くのを感じました。
そこに・・・「プロ」の「基礎や取り組み、スタンス」を感じました。
お陰さまで、当然、未だ未だ練習中で上手く出来ませんが「センタリング呼吸法」
の「つま先・踵」や「歩法」がもっと深く見えて来ました。
実際、K野さんの「歩み」は普段から足の先まで意識と動作がピンピンです。興味
がおありの方は一度ご覧になり、真似してみて下さい。(多分、今までにそこに深い意味を感じて、見ているのは、他にM井さんしかいないはずです)。
私も真似してみます・・・しかし、とにかくやる事が多過ぎて「不貞寝」している暇
もありません。
by centeringkokyu
| 2005-05-13 23:01
| ネコ殿