2011年 06月 28日
自分の理論に懐疑の念を持つ |
「患者様」が医療を壊す 岩田健太郎著からご紹介します。
ダイアレクティク(dialectic)は辞書引くと「弁証法」なんて時代のついた言葉を訳語として当てています。そんな大上段に構えなくても良いと思います。要するにダイアレクティクとは対話、お話することです。むかーしから、物事を解決するときには「対話」が大事なのです。『対話篇』という書物があるくらいですから。
なぜ、対話が大事なのか。それは、「私がこんなに正しい」と主張するためではありません。それを一方がやれば説得=レトリックになりますし、双方がやれば論争になります。論争型の議論は生産的ではありませんし、仮に決着がついたとしてもどちらか、あるいは両方にルサンチマンが生じるだけで話は前進しない。この方法論はどこまで行っても未来がないのです。
では、対話を行う理由はなにか。それは私の正しさに自ら疑念を持ち、どうなんでしょう?と相手に問うためにあるのです。「私って本当に正しいの?」と問うためにあるのです。そこで相手の言い分を聞く。相手の言い分を十分に耳を傾けて聞き、吟味します。もしよく理解できなければ、「あなたのおっしゃることが、もうひとつ理解できていません」と質問を重ねて相手の真意を問おうとします。
相手の言葉の表層的なところで理解してはいけません。相手の言葉を正当に受け止めるのは意外に難しいものなのです。相手は本当に思っていることを簡単には口に出してくれません。絶対に口にしない人も少なくありません。「相手の真意」と「相手が口に出していること」は必ずしも同義語ではないのです。
たとえば、目の前にアメリカ人がいて「あなたの英語はとても上手ですね」と言っているとき、その意味するところは「あなたの英語は下手ですよ」です。悪意を込めているわけではもちろんありません(皮肉を言われているのでない限り)。あなたは英語をがんばって勉強していますね、という好意的な(いささか上から目線ではありますが)言説なのです。それが証拠に、本当にあなたの英語がむちゃくちゃに上手い場合は、英語についての言及なんてされずにそのまま対話が継続されるはずですから。「こいつ、ネイティブなんだな」と思われるだけですから。このように、表現された言葉の解釈というのはずいぶん難しいことなのです。
相手の「口にするところ」を文字通りに受け取ってはいけません。相手の真意に触れなければいけません。そのためには、言葉の「文字」が表現するところだけではなく、相手の表情、身振り、話すトーン、スピード、口調、(苛立った口調、鷹揚な口調、あざけりの口調、感嘆の口調、いろいろありますね)、あらゆる情報に感性を研ぎ澄ませて受け取ることが重要になります。ここでも身体性が大事なのです。
相手の真意を受け止めながら、そして、僕らは問い続けるのです。
「私って本当に正しいんだろうか?」
これが真撃な対話です。「正しい」という信念は対立の温床となり、論争の火種となります。「正しいか??」と「か?」という疑問符をつけておく。自分の言説に「括弧」をつけておき、とりあえず正しいかなあ、という位のぼんやりした概念に棚上げします。相手の話を聞きます。真摯に、一所懸命聞きます。自分の「正しいか?」に照らし合わせます。そして自分の理論に足りないものを足し、余っているところを削り落とします。これを繰り返すうちに、「正しいか?」は「割と正しい」とか「案外正しい」という言葉に格上げされていきます。対話は相手を論破するためではなく、自分の理論を強固にするためにこそ、行うのです。このほうが生産的なのです。そして自分の理論を強固にするための一番手っ取り早い方法は、自分の理論に懐疑の念を持つことなのです。自分の理論はよくないのではないか、と思うことが自分の理論をよりよくするのです。
別に相手がいなくてもダイアレクティクはできます。自分一人で自問自答し、自分の考えを問い直してみる。俺って本当に正しいの? そして自分の言説を吟味しなおすのです。こうすると、ダイアレクティクという言葉を「弁証法」と訳すのもなるほどありかなあ、とも思えてきます。弁証法とは自分自身と対話をして、「正しいか?」を「割と正しいかも」「案外正しいかも」に格上げしていく作業に他ならないのですから。ただし、その「割と正しいかも」もまた、しばらくすると、「本当にそれでよいの?」とぼんやりしてきます。で、また弁証法です。同じことを繰り返すのです。
参照1:一人弁証法
参照2:信じるな、疑うな、確かめよ
参照3:人間の無意識が動かしている人と人とのつながり
参照4:「あなたはいい人間か、悪い人間か」と問われたら
参照5:教えなければ、考える
☆リンク先で更新された記事
・感想文61
・活動報告14
・体験記09
・相対稽古をしないと解らない事がある。
・剣と治療
・「ハードルが高いと燃える」
・「なぜ刃物を研がせるか」
#楽隠居です
昨日、昼食の為に入ったレストランで、35年前から存じ上げている女性に偶然お会いしました。少し元気が無いようにお見受けしたのですが、そのことには触れずにお天気や景気のお話をしていました。
しかし、会話の中で、先ほど人工透析をしてきたところで、呼吸が苦しいし心臓にも問題があるようだと言われました。
ご主人もご一緒だったので、姿勢のことや呼吸の方法を簡単に説明させていただきました。そして、少しだけ誘導しながら、鼻から吸って鼻から吐く呼吸と視線の使い方をお教えしました。
鼻から吸って口から吐くという癖がなかなか取れませんでしたが、暫くすると上手に呼吸が出来るようになり、呼吸がすごく楽にできると感激しておられました。
このブログのこともお話しておきましたので、人工透析に関する記事を挙げておきます。
・人工透析をしないで済む?
・糖尿病は良くなる!
・メタボリックシンドローム健診
・検査漬け医療の原因は経済的な理由だった
・患者が主治医、医者は助っ人
・糖尿病とコタラヒムブツ
ダイアレクティク(dialectic)は辞書引くと「弁証法」なんて時代のついた言葉を訳語として当てています。そんな大上段に構えなくても良いと思います。要するにダイアレクティクとは対話、お話することです。むかーしから、物事を解決するときには「対話」が大事なのです。『対話篇』という書物があるくらいですから。
なぜ、対話が大事なのか。それは、「私がこんなに正しい」と主張するためではありません。それを一方がやれば説得=レトリックになりますし、双方がやれば論争になります。論争型の議論は生産的ではありませんし、仮に決着がついたとしてもどちらか、あるいは両方にルサンチマンが生じるだけで話は前進しない。この方法論はどこまで行っても未来がないのです。
では、対話を行う理由はなにか。それは私の正しさに自ら疑念を持ち、どうなんでしょう?と相手に問うためにあるのです。「私って本当に正しいの?」と問うためにあるのです。そこで相手の言い分を聞く。相手の言い分を十分に耳を傾けて聞き、吟味します。もしよく理解できなければ、「あなたのおっしゃることが、もうひとつ理解できていません」と質問を重ねて相手の真意を問おうとします。
相手の言葉の表層的なところで理解してはいけません。相手の言葉を正当に受け止めるのは意外に難しいものなのです。相手は本当に思っていることを簡単には口に出してくれません。絶対に口にしない人も少なくありません。「相手の真意」と「相手が口に出していること」は必ずしも同義語ではないのです。
たとえば、目の前にアメリカ人がいて「あなたの英語はとても上手ですね」と言っているとき、その意味するところは「あなたの英語は下手ですよ」です。悪意を込めているわけではもちろんありません(皮肉を言われているのでない限り)。あなたは英語をがんばって勉強していますね、という好意的な(いささか上から目線ではありますが)言説なのです。それが証拠に、本当にあなたの英語がむちゃくちゃに上手い場合は、英語についての言及なんてされずにそのまま対話が継続されるはずですから。「こいつ、ネイティブなんだな」と思われるだけですから。このように、表現された言葉の解釈というのはずいぶん難しいことなのです。
相手の「口にするところ」を文字通りに受け取ってはいけません。相手の真意に触れなければいけません。そのためには、言葉の「文字」が表現するところだけではなく、相手の表情、身振り、話すトーン、スピード、口調、(苛立った口調、鷹揚な口調、あざけりの口調、感嘆の口調、いろいろありますね)、あらゆる情報に感性を研ぎ澄ませて受け取ることが重要になります。ここでも身体性が大事なのです。
相手の真意を受け止めながら、そして、僕らは問い続けるのです。
「私って本当に正しいんだろうか?」
これが真撃な対話です。「正しい」という信念は対立の温床となり、論争の火種となります。「正しいか??」と「か?」という疑問符をつけておく。自分の言説に「括弧」をつけておき、とりあえず正しいかなあ、という位のぼんやりした概念に棚上げします。相手の話を聞きます。真摯に、一所懸命聞きます。自分の「正しいか?」に照らし合わせます。そして自分の理論に足りないものを足し、余っているところを削り落とします。これを繰り返すうちに、「正しいか?」は「割と正しい」とか「案外正しい」という言葉に格上げされていきます。対話は相手を論破するためではなく、自分の理論を強固にするためにこそ、行うのです。このほうが生産的なのです。そして自分の理論を強固にするための一番手っ取り早い方法は、自分の理論に懐疑の念を持つことなのです。自分の理論はよくないのではないか、と思うことが自分の理論をよりよくするのです。
別に相手がいなくてもダイアレクティクはできます。自分一人で自問自答し、自分の考えを問い直してみる。俺って本当に正しいの? そして自分の言説を吟味しなおすのです。こうすると、ダイアレクティクという言葉を「弁証法」と訳すのもなるほどありかなあ、とも思えてきます。弁証法とは自分自身と対話をして、「正しいか?」を「割と正しいかも」「案外正しいかも」に格上げしていく作業に他ならないのですから。ただし、その「割と正しいかも」もまた、しばらくすると、「本当にそれでよいの?」とぼんやりしてきます。で、また弁証法です。同じことを繰り返すのです。
参照1:一人弁証法
参照2:信じるな、疑うな、確かめよ
参照3:人間の無意識が動かしている人と人とのつながり
参照4:「あなたはいい人間か、悪い人間か」と問われたら
参照5:教えなければ、考える
☆リンク先で更新された記事
・感想文61
・活動報告14
・体験記09
・相対稽古をしないと解らない事がある。
・剣と治療
・「ハードルが高いと燃える」
・「なぜ刃物を研がせるか」
#楽隠居です
昨日、昼食の為に入ったレストランで、35年前から存じ上げている女性に偶然お会いしました。少し元気が無いようにお見受けしたのですが、そのことには触れずにお天気や景気のお話をしていました。
しかし、会話の中で、先ほど人工透析をしてきたところで、呼吸が苦しいし心臓にも問題があるようだと言われました。
ご主人もご一緒だったので、姿勢のことや呼吸の方法を簡単に説明させていただきました。そして、少しだけ誘導しながら、鼻から吸って鼻から吐く呼吸と視線の使い方をお教えしました。
鼻から吸って口から吐くという癖がなかなか取れませんでしたが、暫くすると上手に呼吸が出来るようになり、呼吸がすごく楽にできると感激しておられました。
このブログのこともお話しておきましたので、人工透析に関する記事を挙げておきます。
・人工透析をしないで済む?
・糖尿病は良くなる!
・メタボリックシンドローム健診
・検査漬け医療の原因は経済的な理由だった
・患者が主治医、医者は助っ人
・糖尿病とコタラヒムブツ
by centeringkokyu
| 2011-06-28 22:38
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