2011年 03月 31日
これまで身につけたいろいろな過去の蓄積を生かす |
この頃、武道を学ぶ人達の中には、「古武道を現代に生かす」ことをテーマに日々研鑽に励んでいる人がいます。古武道を学び、そのうえで自分らしい武道を行うにはどうしたらよいのでしょうか。ここでは古武道をどのように学べばよいのか、いくつかの古武道を取り上げて、私の古武道観を交えながらご紹介したいと思います。
武道の稽古が少し進むと、他にも使える古武道のあることを知るようになります。何を学べばよいのかは、先生や先輩に尋ねるのもよい方法ですが、まず初めに新陰流や一刀流などの基本的な古武道をお奨めしたいと思います。少々堅苦しいと思われるかもしれませんが、柔術でいうならば大東流合気柔術といったものでしょうか。
基本となる古武道は初めに学び、いろいろな勉強の末にまたたどり着くべき大切なものです。古武道からは、型と呼吸のもっている間を中心に徹底して学ぶことです。それらを会得するには、まず正しい姿勢を身につけることが必要です。これについては時間をかけてほしいと思います。こうした方法は、少々受け身で回り道のようであっても結果的にはかえって近道になると思うのです。この基本的な勉強の間は他のものを一切みないというのではなく、柔軟に対応することが肝要です。
例えば大東流合気柔術の稽古を始めたとすると、以前学んでいた合気道のことなど考えず、ただひたすら大東流に集中するあまり、合気道の動きが混じることを嫌う傾向があります。しかし考えてみますと、当然他の武道の動きが混入するのが自然であって、過去の動きをすっかり排除することは不自然です。
私はむしろ自分を無にして古武道を学ぶよりも、これまで身につけたいろいろな過去の蓄積を持っているという認識のうえで稽古すべきだと思います。これまで作り上げてきた他人とは違う個性を捨て去って、今の自分を考えることには無理があります。古武道との付き合いの中で、現在の自分がどこまでも主体であることを提唱したいと思います。
古武道を学ぶにあたって心がけたいことの幾つかをお話しましょう。
まず初めに、好きな古武道を選ぶということです。基本的な古武道は三年くらい稽古する必要がありますが、その後は自分の好きな古武道を決めることです。好きな古武道を一つ決めることは基礎を作るうえで極めて大切なことなのです。古武道は自分の力を助長してくれたり、欠点を矯正してくれる最良のパートナーですから、次々と渡り歩くのは考えものですが、慎重になるあまり義理立てなどして、他の古武道はみないといった辛抱をすることはありません。魅力のある古武道には思い切って入り込めばよいのです。
#楽隠居です
最近は、会員の皆さんが稽古内容やご自分が感じたことや考えていることを各自のブログで紹介してくださるので、私の役目は済んだと思っています。
これからは皆さんが、心身観照は身体の現状認識から始めるということをしっかり検証しつつ、習い・稽古・工夫 することを怠らず、観察力を磨き続ける。
そして、時々は創始者達の考え方を再確認していただきたいのです。
本の読み方や情報の捉え方も、このブログの過去の記事を参考にして、ご自分なりの考え方を構築し続けていただきたいと願っています。
世の中にはいろいろな考え方ややり方があります。何が正しいかと考えるのではなく、自分流の考え方や身体の使い方を探究し続けることが、楽しみになるようにしてください。
稽古をする目的や理想像は、情報量と身体が変化するにつれて変わり続けるものだと考えてもいいのではないでしょうか?
駄洒落・替え歌・パロディなどを考えてみるのも、結構楽しいものですし、違った視点から問題に取り組む習慣づけにもなるはずです。
今回の記事もその一つです。私の本の読み方も参考に・・・
なりませんかねぇ~
▼「古筆に学ぶ」 榎倉香邨著からご紹介します。
近年、かなを学ぶ誰もが「古筆を現代に生かす」ことをテーマに日々研鑽に励んでいます。古筆を学び、そのうえで自分らしい書を書くにはどうしたらよいのでしょうか。本書では古筆をどのように学べばよいのか、十の古筆を取り上げて、私の古筆観を交えながらご紹介したいと思います。
かなの勉強が少し進むと、他にも美しい古筆のあることを知るようになります。何を学べばよいのかは、先生や先輩に尋ねるのもよい方法ですが、まず初めに高野切第一種や粘葉本和漢朗詠集などの基本的な古筆をお奨めしたいと思います。少々堅苦しいと思われるかもしれませんが、漠字でいうならば九成宮醴泉銘や孔子廟堂碑といったものでしょうか。
基本となる古筆は初めに学び、いろいろな勉強の末にまたたどり着くべき大切なものです。古筆からは、線と一字のもっている間を中心に徹底して学ぶことです。それらを会得するには、まず正しい執筆姿勢を身につけることが必要です。これについては時間をかけてほしいと思います。こうした方法は、少々受け身で回り道のようであっても結果的にはかえって近道になると思うのです。この基本的な勉強の間は他のものを一切みないというのではなく、柔軟に対応することが肝要です。
例えば関戸本古今集の勉強を始めたとすると、以前学んでいた古筆のことなど考えず、ただひたすら関戸本に集中するあまり、他の書きぶりが混じることを嫌う傾向があります。しかし考えてみますと、当然他の書きぶりが混入するのが自然であって、過去の書きぶりをすっかり排除することは不自然です。
私はむしろ自分を無にして古筆を学ぶよりも、これまで身につけたいろいろな過去の蓄積を持っているという認識のうえで学習すべきだと思います。これまで作り上げてきた他人とは違う個性を捨て去って、今の自分を考えることには無理があります。古筆との付き合いの中で、現在の自分がどこまでも主体であることを提唱したいと思います。
古筆を学ぶにあたって心がけたいことの幾つかをお話しましょう。
まず初めに、好きな古筆を選ぶということです。基本的な古筆は三年くらい学ぶ必要がありますが、その後は自分の好きな古筆を決めることです。好きな古筆を一つ決めることは基礎を作るうえで極めて大切なことなのです。古筆は自分の力を助長してくれたり、欠点を矯正してくれる最良のパートナーですから、次々と渡り歩くのは考えものですが、慎重になるあまり義理立てなどして、他の古筆はみないといった辛抱をすることはありません。魅力のある古筆には思い切って入り込めばよいのです。
参照1:博(ひろ)く他流の妙所を味わう
参照2:一から始める
参照3:真の中心をえて静止することはない
参照4:破壊と創造
参照5:力を抜く、力の抜き方
参照6:利剣のごとく筆鋒を鋭く
参照7:見抜く力・感性
参照8:技法習得の上に大事なこと
参照9:技法は実習の経験から生まれる
☆リンク先で更新された記事をご紹介します。
◆「じぶんづくり ものづくり」
◆なんか巡っている気がする
武道の稽古が少し進むと、他にも使える古武道のあることを知るようになります。何を学べばよいのかは、先生や先輩に尋ねるのもよい方法ですが、まず初めに新陰流や一刀流などの基本的な古武道をお奨めしたいと思います。少々堅苦しいと思われるかもしれませんが、柔術でいうならば大東流合気柔術といったものでしょうか。
基本となる古武道は初めに学び、いろいろな勉強の末にまたたどり着くべき大切なものです。古武道からは、型と呼吸のもっている間を中心に徹底して学ぶことです。それらを会得するには、まず正しい姿勢を身につけることが必要です。これについては時間をかけてほしいと思います。こうした方法は、少々受け身で回り道のようであっても結果的にはかえって近道になると思うのです。この基本的な勉強の間は他のものを一切みないというのではなく、柔軟に対応することが肝要です。
例えば大東流合気柔術の稽古を始めたとすると、以前学んでいた合気道のことなど考えず、ただひたすら大東流に集中するあまり、合気道の動きが混じることを嫌う傾向があります。しかし考えてみますと、当然他の武道の動きが混入するのが自然であって、過去の動きをすっかり排除することは不自然です。
私はむしろ自分を無にして古武道を学ぶよりも、これまで身につけたいろいろな過去の蓄積を持っているという認識のうえで稽古すべきだと思います。これまで作り上げてきた他人とは違う個性を捨て去って、今の自分を考えることには無理があります。古武道との付き合いの中で、現在の自分がどこまでも主体であることを提唱したいと思います。
古武道を学ぶにあたって心がけたいことの幾つかをお話しましょう。
まず初めに、好きな古武道を選ぶということです。基本的な古武道は三年くらい稽古する必要がありますが、その後は自分の好きな古武道を決めることです。好きな古武道を一つ決めることは基礎を作るうえで極めて大切なことなのです。古武道は自分の力を助長してくれたり、欠点を矯正してくれる最良のパートナーですから、次々と渡り歩くのは考えものですが、慎重になるあまり義理立てなどして、他の古武道はみないといった辛抱をすることはありません。魅力のある古武道には思い切って入り込めばよいのです。
#楽隠居です
最近は、会員の皆さんが稽古内容やご自分が感じたことや考えていることを各自のブログで紹介してくださるので、私の役目は済んだと思っています。
これからは皆さんが、心身観照は身体の現状認識から始めるということをしっかり検証しつつ、習い・稽古・工夫 することを怠らず、観察力を磨き続ける。
そして、時々は創始者達の考え方を再確認していただきたいのです。
本の読み方や情報の捉え方も、このブログの過去の記事を参考にして、ご自分なりの考え方を構築し続けていただきたいと願っています。
世の中にはいろいろな考え方ややり方があります。何が正しいかと考えるのではなく、自分流の考え方や身体の使い方を探究し続けることが、楽しみになるようにしてください。
稽古をする目的や理想像は、情報量と身体が変化するにつれて変わり続けるものだと考えてもいいのではないでしょうか?
駄洒落・替え歌・パロディなどを考えてみるのも、結構楽しいものですし、違った視点から問題に取り組む習慣づけにもなるはずです。
今回の記事もその一つです。私の本の読み方も参考に・・・
なりませんかねぇ~
▼「古筆に学ぶ」 榎倉香邨著からご紹介します。
近年、かなを学ぶ誰もが「古筆を現代に生かす」ことをテーマに日々研鑽に励んでいます。古筆を学び、そのうえで自分らしい書を書くにはどうしたらよいのでしょうか。本書では古筆をどのように学べばよいのか、十の古筆を取り上げて、私の古筆観を交えながらご紹介したいと思います。
かなの勉強が少し進むと、他にも美しい古筆のあることを知るようになります。何を学べばよいのかは、先生や先輩に尋ねるのもよい方法ですが、まず初めに高野切第一種や粘葉本和漢朗詠集などの基本的な古筆をお奨めしたいと思います。少々堅苦しいと思われるかもしれませんが、漠字でいうならば九成宮醴泉銘や孔子廟堂碑といったものでしょうか。
基本となる古筆は初めに学び、いろいろな勉強の末にまたたどり着くべき大切なものです。古筆からは、線と一字のもっている間を中心に徹底して学ぶことです。それらを会得するには、まず正しい執筆姿勢を身につけることが必要です。これについては時間をかけてほしいと思います。こうした方法は、少々受け身で回り道のようであっても結果的にはかえって近道になると思うのです。この基本的な勉強の間は他のものを一切みないというのではなく、柔軟に対応することが肝要です。
例えば関戸本古今集の勉強を始めたとすると、以前学んでいた古筆のことなど考えず、ただひたすら関戸本に集中するあまり、他の書きぶりが混じることを嫌う傾向があります。しかし考えてみますと、当然他の書きぶりが混入するのが自然であって、過去の書きぶりをすっかり排除することは不自然です。
私はむしろ自分を無にして古筆を学ぶよりも、これまで身につけたいろいろな過去の蓄積を持っているという認識のうえで学習すべきだと思います。これまで作り上げてきた他人とは違う個性を捨て去って、今の自分を考えることには無理があります。古筆との付き合いの中で、現在の自分がどこまでも主体であることを提唱したいと思います。
古筆を学ぶにあたって心がけたいことの幾つかをお話しましょう。
まず初めに、好きな古筆を選ぶということです。基本的な古筆は三年くらい学ぶ必要がありますが、その後は自分の好きな古筆を決めることです。好きな古筆を一つ決めることは基礎を作るうえで極めて大切なことなのです。古筆は自分の力を助長してくれたり、欠点を矯正してくれる最良のパートナーですから、次々と渡り歩くのは考えものですが、慎重になるあまり義理立てなどして、他の古筆はみないといった辛抱をすることはありません。魅力のある古筆には思い切って入り込めばよいのです。
参照1:博(ひろ)く他流の妙所を味わう
参照2:一から始める
参照3:真の中心をえて静止することはない
参照4:破壊と創造
参照5:力を抜く、力の抜き方
参照6:利剣のごとく筆鋒を鋭く
参照7:見抜く力・感性
参照8:技法習得の上に大事なこと
参照9:技法は実習の経験から生まれる
☆リンク先で更新された記事をご紹介します。
◆「じぶんづくり ものづくり」
◆なんか巡っている気がする
by centeringkokyu
| 2011-03-31 00:01
| 書き方関連