2010年 11月 26日
気の感応力 |
☆リンク先で更新された記事から抜粋してご紹介します。
◆極意も一緒
「合気道とラグビーを貫くもの」 内田 樹 平尾 剛著より紹介させて頂きます。
平尾 体感と直感なんです。「右」「はい」って動いてるんじゃなく、まず右への動きがあって、そのあとに声。声を出すということは相手チームにも聞こえるわけですから、もう絶対的に遅い。無意識レベルのコミュニケーションでチームメイトと一体になって生まれたプレーから感じた心地よさは、身体に刻まれているから一生忘れないと思います。
内田 気持ちいいですよね。個人の身体の境界を越えて、15人が一つの共同的身体みたいなものをかたちづくるのは。15人が一つの身体のように動いていくという感覚が気持ちがいいというのは、僕にもよくわかります。そういう強固な集団共身体というか、共同的な身体グループを構築するために何をすればいいのか。その共同体を作るための実定的な身体技術というのは、そのうち物理学的に有効性が検証されると思うんです人間は必ずある種のシグナルを送受信していると思う。そのシグナルを送受信する能力はふだんは眠っているんだけど、気の錬磨とか気の感応の練習を繰り返えせば、かなり自在に操れるようになるはずです。
塚原ト伝がご飯作っていると、敵がつかつかとやってきて後ろから「エィッ」と斬りかかる。するとト伝が鍋のふたを取ってパンと防ぐという場面が、むかしの講談にあるじゃないですか。あれ、武道的には当たり前だと思うんです。気の感応力の鋭いひとにとってみたら、自分のエリアにひとが入ってきたら、そのひとがいまどこにいて、何を感じて、何を考えているかまで、シグナルがどんどん送信されてきているはずですから。
◎続きはこちらをどうぞ!
◆身体を細く使う
11.20 観照塾
・ 体内操作でゆるみをとる
・ 呼吸で浮かせる
・ 自分の丹田と相手の丹田とが合う位置にずらす
・ 腹で引いてくる
・ 意識の内と外
・ 必要な所だけで動く(手でしない)
・ 労宮を虚にする
◎続きはこちらをどうぞ!
▼I川さんからM岡さんへのメールを転送していただきましたので、抜粋してご紹介します。
土曜日にK野さんから「おまえは教えすぎる。教えるのが早すぎる」というような指摘を受けました。これはまさに、ブログにある「道具が無いと何もやれないし、指導者がいないと何も出来ないというような状況に陥る」という状況そのものです。教えてるつもりで、実は考えないクセや感じないクセをつける練習をさせていたのかもしれないと、反省しきりです。
言われてみれば、感じるためではなく結果をだすためだけに道具を使っていたという点では、私も同じです。自分で道具を使うときは感じて楽しんでるんですが、教えるときには結果をだす(変える)ための道具として太極棒や帯を使っていました。
考えてみれば、(治療家だとなかなかそうはいきませんが)何かを感じるきっかけになりさえすれば、結果なんて出なくてもいいんですよね。
結果を出すよりも感じ方考え方を変えることが大事だと頭では理解してたつもりなんですが、実際にはまったく逆のことをしていたんだと、いまさら気づきました。
まずはブログにあるように、「直ぐに分かることが目的ではなく、分かっていないことを分かっていないと分からせる(分かる)」ということを念頭においていろいろ考えていこうと思っています。
お互いまだまだですが、がんばっていきましょう。
#楽隠居です
理論を他人に説明する場合は、刑事コロンボのドラマのように殺人現場から始まって、殺人に至るまでのストーリーを推理するということも楽しいのですが、感じることの必要性をどれだけ説明しても感じることができるようにならないで、頭で理論を考えてしまうことが多いのではないでしょうか。
違いを感じるというのは、何処まで行っても個人的な体験であり完璧に言葉で表現することは不可能だと考えています。
足を上げる方法でも、どのくらい違う方法があるかというようなことを考えるのは無駄であるとも言えますが、選択肢が多くあってその中から、自分で感じて選択することが大切なのです。
先に合理的な動き方を教えてしまうと、自分の癖に気付くことなく自分なりの方法でそれらしい動きをしてしまいます。膝や股関節の使い方と骨盤の現状認識をしておかないと、呼吸の変化に気付くことができません。
足を縛る方法を教えると、歪んだままの身体で足を縛り、歪みが増してしまう可能性もあります。
何年も稽古してきた人同士への言葉が、初心者には同じようには伝わらないのです。
帯を使って足を縛る方法も、何回も工夫しながらやってみることが大切なので、帯が長すぎたり短すぎたりした場合にも、どれだけ工夫できるかを見守る勇気?が必要です。しかし、限られたレッスン時間の中で、待つということが難しいものであることは十分承知しています。
教える場合は長距離走的に、習う場合には短距離走的に考えるのがいいのかもしれません。ですから、教えるようになって初めて長距離走的な考え方の重要性に気づけるのでしょう。マラソン選手なんかは、私が短距離を全速力で走るよりも速く長距離を走れますから、単純に比較は出来ませんが・・・
逆に言えば、短距離走的な考え方しか出来ない場合には、まだまだ指導者としての資格はないのです。自分が何年かかって、どのような経過で、どこまで出来るようになったかを考えると、現在の自分が「これだ!」と感じたことを直ぐに人に教えることの功罪に気づけるかもしれません。
感覚は教えられる訳でもないし、不調は治すものではなく、必要がなくなれば勝手に治るものだと思っています。勿論、必要が無くなるような工夫は大切ですし、そのアドバイスはさせていただきます。
指導者は、
「個別の病名については、答えを差し控えさせていただきます。」
「センタリング呼吸法とバランス感覚に基づいて適切にやらせていただきます。」この2つのフレーズだけで、全てに対応できるのかも・・・
皆さん末永くお付き合いいただきますように、心からお願いする次第です。
参照1:身体感受性
参照2:潜在意識
参照3:“思い”はなぜ伝わるのか?
参照4:足の上げ方を科学する?
参照5:多方面から数多くの質問を投げかける
参照6:いろいろやり方を変える
参照7:保険病名は、必ずしも、正確な本当の病名ではない
◆極意も一緒
「合気道とラグビーを貫くもの」 内田 樹 平尾 剛著より紹介させて頂きます。
平尾 体感と直感なんです。「右」「はい」って動いてるんじゃなく、まず右への動きがあって、そのあとに声。声を出すということは相手チームにも聞こえるわけですから、もう絶対的に遅い。無意識レベルのコミュニケーションでチームメイトと一体になって生まれたプレーから感じた心地よさは、身体に刻まれているから一生忘れないと思います。
内田 気持ちいいですよね。個人の身体の境界を越えて、15人が一つの共同的身体みたいなものをかたちづくるのは。15人が一つの身体のように動いていくという感覚が気持ちがいいというのは、僕にもよくわかります。そういう強固な集団共身体というか、共同的な身体グループを構築するために何をすればいいのか。その共同体を作るための実定的な身体技術というのは、そのうち物理学的に有効性が検証されると思うんです人間は必ずある種のシグナルを送受信していると思う。そのシグナルを送受信する能力はふだんは眠っているんだけど、気の錬磨とか気の感応の練習を繰り返えせば、かなり自在に操れるようになるはずです。
塚原ト伝がご飯作っていると、敵がつかつかとやってきて後ろから「エィッ」と斬りかかる。するとト伝が鍋のふたを取ってパンと防ぐという場面が、むかしの講談にあるじゃないですか。あれ、武道的には当たり前だと思うんです。気の感応力の鋭いひとにとってみたら、自分のエリアにひとが入ってきたら、そのひとがいまどこにいて、何を感じて、何を考えているかまで、シグナルがどんどん送信されてきているはずですから。
◎続きはこちらをどうぞ!
◆身体を細く使う
11.20 観照塾
・ 体内操作でゆるみをとる
・ 呼吸で浮かせる
・ 自分の丹田と相手の丹田とが合う位置にずらす
・ 腹で引いてくる
・ 意識の内と外
・ 必要な所だけで動く(手でしない)
・ 労宮を虚にする
◎続きはこちらをどうぞ!
▼I川さんからM岡さんへのメールを転送していただきましたので、抜粋してご紹介します。
土曜日にK野さんから「おまえは教えすぎる。教えるのが早すぎる」というような指摘を受けました。これはまさに、ブログにある「道具が無いと何もやれないし、指導者がいないと何も出来ないというような状況に陥る」という状況そのものです。教えてるつもりで、実は考えないクセや感じないクセをつける練習をさせていたのかもしれないと、反省しきりです。
言われてみれば、感じるためではなく結果をだすためだけに道具を使っていたという点では、私も同じです。自分で道具を使うときは感じて楽しんでるんですが、教えるときには結果をだす(変える)ための道具として太極棒や帯を使っていました。
考えてみれば、(治療家だとなかなかそうはいきませんが)何かを感じるきっかけになりさえすれば、結果なんて出なくてもいいんですよね。
結果を出すよりも感じ方考え方を変えることが大事だと頭では理解してたつもりなんですが、実際にはまったく逆のことをしていたんだと、いまさら気づきました。
まずはブログにあるように、「直ぐに分かることが目的ではなく、分かっていないことを分かっていないと分からせる(分かる)」ということを念頭においていろいろ考えていこうと思っています。
お互いまだまだですが、がんばっていきましょう。
#楽隠居です
理論を他人に説明する場合は、刑事コロンボのドラマのように殺人現場から始まって、殺人に至るまでのストーリーを推理するということも楽しいのですが、感じることの必要性をどれだけ説明しても感じることができるようにならないで、頭で理論を考えてしまうことが多いのではないでしょうか。
違いを感じるというのは、何処まで行っても個人的な体験であり完璧に言葉で表現することは不可能だと考えています。
足を上げる方法でも、どのくらい違う方法があるかというようなことを考えるのは無駄であるとも言えますが、選択肢が多くあってその中から、自分で感じて選択することが大切なのです。
先に合理的な動き方を教えてしまうと、自分の癖に気付くことなく自分なりの方法でそれらしい動きをしてしまいます。膝や股関節の使い方と骨盤の現状認識をしておかないと、呼吸の変化に気付くことができません。
足を縛る方法を教えると、歪んだままの身体で足を縛り、歪みが増してしまう可能性もあります。
何年も稽古してきた人同士への言葉が、初心者には同じようには伝わらないのです。
帯を使って足を縛る方法も、何回も工夫しながらやってみることが大切なので、帯が長すぎたり短すぎたりした場合にも、どれだけ工夫できるかを見守る勇気?が必要です。しかし、限られたレッスン時間の中で、待つということが難しいものであることは十分承知しています。
教える場合は長距離走的に、習う場合には短距離走的に考えるのがいいのかもしれません。ですから、教えるようになって初めて長距離走的な考え方の重要性に気づけるのでしょう。マラソン選手なんかは、私が短距離を全速力で走るよりも速く長距離を走れますから、単純に比較は出来ませんが・・・
逆に言えば、短距離走的な考え方しか出来ない場合には、まだまだ指導者としての資格はないのです。自分が何年かかって、どのような経過で、どこまで出来るようになったかを考えると、現在の自分が「これだ!」と感じたことを直ぐに人に教えることの功罪に気づけるかもしれません。
感覚は教えられる訳でもないし、不調は治すものではなく、必要がなくなれば勝手に治るものだと思っています。勿論、必要が無くなるような工夫は大切ですし、そのアドバイスはさせていただきます。
指導者は、
「個別の病名については、答えを差し控えさせていただきます。」
「センタリング呼吸法とバランス感覚に基づいて適切にやらせていただきます。」この2つのフレーズだけで、全てに対応できるのかも・・・
皆さん末永くお付き合いいただきますように、心からお願いする次第です。
参照1:身体感受性
参照2:潜在意識
参照3:“思い”はなぜ伝わるのか?
参照4:足の上げ方を科学する?
参照5:多方面から数多くの質問を投げかける
参照6:いろいろやり方を変える
参照7:保険病名は、必ずしも、正確な本当の病名ではない
by centeringkokyu
| 2010-11-26 00:01
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