2010年 11月 02日
ものの中心について |
▼I川さんからの投稿をご紹介します。
この間から考えていた課題である「中心をつかむ」ことについて、ようやく自分の中で道筋が見えてきたので、ここで少しまとめてみようと思います。
まず前提として、太極棒の中心という言葉には二つの意味があります。
二つにわかれた真ん中のふくらんだ部分が1つ目の中心。
もう1つの中心は、太極棒の縦方向の中心線です。
とても残念なことに私は、K野さんに指摘されるまで太極棒の中心線の存在をきれいに忘れてました。
指摘されてみてあらためて太極棒なしで太極棒のメニューの形をしてみると、真ん中の部分は見えるけど中心線の見えない動きになっていました。
身体の使い方は太極棒のあり方にそのままあらわれます。
体操の天地人の串刺しで細くなっていないとの指摘を受けたときに、自分では修正できたつもりになっていたのですが、実はまったく修正できてなかったってことですね。
なんか、こんなんばっかりですな。
そこで、普段の生活の中で物にふれるときに中心を意識するようにしてみたんですが、そうするといろいろ面白いことがわかりました。
まずは中心を意識して持つことで、指先の感覚がとても繊細になること。
そして中心を感じながら物にふれることで、自分の身体の中心の感覚も同時に感じられること。
当然、物にふれながら自分の中の中心感覚を鋭敏にしていくと、ふれた物の中心をより明確に感じられるようになります。
また、きっちり中心を感じながら他人の身体にふれると、その人の身体の中心や偏り方が自分のことのようにはっきりと感じられます。
そして、身体各部のつながりをマリオネットのように感じることができ、また動かすこともできるようになります。
さて、以前から肋骨の位置と頭の重みの関係性について考えていたのですが、これについてもなかなかうまく行かずに困っていました。
最初、無理に肋骨の位置を変えてたんですが、そうすると妙なところがあちこち固まってお話になりませんでした。
そこで呼吸を使って肋骨をふくらませるようにしてバランスを変えてみたんですが、それでもうまく行きません。
なんでかなあといろいろ考えてたら、たまたまある人から「肋骨がしまってない」という指摘を受けました。
たしかにこれまで、肋骨をしめる意識なんてまったくありませんでした。
そこでいろいろ考えてみたんですが、本来、ちゃんと骨盤がしまっていれば、肋骨も勝手にしまってくるはずなのです。
ところが実際には肋骨がちゃんとしまってなかったということは、基本中の基本である骨盤をしめることすらまともにできていなかったということです。
いまさら何を・・・と言うくらい情けない話ですね。
まあそのおかげで、意識して物の中心を持つようにすると、それだけで勝手に骨盤がしまってくるということがわかりました。
そして、中心をつかむことはバランスをとることと同義だということもわかりました。
肋骨と頭の位置関係についてはまだ考え中ですが、いちおうなんとかなりそうな気はしています。
とりあえず課題は山積みで、できてないことだらけですが、なんとか頑張っていこうと思っています。
ありがとうございました。
参照1:出来ていない自分を発見する
参照2:股関節のとらえ / 骨盤の細分化
参照3:稽古で気づいた事
参照4:元の木阿弥
参照5:学ぶとは洞察力を養うこと
参照6:自分の身体の中心と道具の中心
☆リンク先で更新された記事
・自分で出来ること・変えられること
この間から考えていた課題である「中心をつかむ」ことについて、ようやく自分の中で道筋が見えてきたので、ここで少しまとめてみようと思います。
まず前提として、太極棒の中心という言葉には二つの意味があります。
二つにわかれた真ん中のふくらんだ部分が1つ目の中心。
もう1つの中心は、太極棒の縦方向の中心線です。
とても残念なことに私は、K野さんに指摘されるまで太極棒の中心線の存在をきれいに忘れてました。
指摘されてみてあらためて太極棒なしで太極棒のメニューの形をしてみると、真ん中の部分は見えるけど中心線の見えない動きになっていました。
身体の使い方は太極棒のあり方にそのままあらわれます。
体操の天地人の串刺しで細くなっていないとの指摘を受けたときに、自分では修正できたつもりになっていたのですが、実はまったく修正できてなかったってことですね。
なんか、こんなんばっかりですな。
そこで、普段の生活の中で物にふれるときに中心を意識するようにしてみたんですが、そうするといろいろ面白いことがわかりました。
まずは中心を意識して持つことで、指先の感覚がとても繊細になること。
そして中心を感じながら物にふれることで、自分の身体の中心の感覚も同時に感じられること。
当然、物にふれながら自分の中の中心感覚を鋭敏にしていくと、ふれた物の中心をより明確に感じられるようになります。
また、きっちり中心を感じながら他人の身体にふれると、その人の身体の中心や偏り方が自分のことのようにはっきりと感じられます。
そして、身体各部のつながりをマリオネットのように感じることができ、また動かすこともできるようになります。
さて、以前から肋骨の位置と頭の重みの関係性について考えていたのですが、これについてもなかなかうまく行かずに困っていました。
最初、無理に肋骨の位置を変えてたんですが、そうすると妙なところがあちこち固まってお話になりませんでした。
そこで呼吸を使って肋骨をふくらませるようにしてバランスを変えてみたんですが、それでもうまく行きません。
なんでかなあといろいろ考えてたら、たまたまある人から「肋骨がしまってない」という指摘を受けました。
たしかにこれまで、肋骨をしめる意識なんてまったくありませんでした。
そこでいろいろ考えてみたんですが、本来、ちゃんと骨盤がしまっていれば、肋骨も勝手にしまってくるはずなのです。
ところが実際には肋骨がちゃんとしまってなかったということは、基本中の基本である骨盤をしめることすらまともにできていなかったということです。
いまさら何を・・・と言うくらい情けない話ですね。
まあそのおかげで、意識して物の中心を持つようにすると、それだけで勝手に骨盤がしまってくるということがわかりました。
そして、中心をつかむことはバランスをとることと同義だということもわかりました。
肋骨と頭の位置関係についてはまだ考え中ですが、いちおうなんとかなりそうな気はしています。
とりあえず課題は山積みで、できてないことだらけですが、なんとか頑張っていこうと思っています。
ありがとうございました。
参照1:出来ていない自分を発見する
参照2:股関節のとらえ / 骨盤の細分化
参照3:稽古で気づいた事
参照4:元の木阿弥
参照5:学ぶとは洞察力を養うこと
参照6:自分の身体の中心と道具の中心
☆リンク先で更新された記事
・自分で出来ること・変えられること
by centeringkokyu
| 2010-11-02 21:20
| 合気観照塾