2010年 07月 29日
過剰エネルギーの動向と個人の観察 |
「月刊全生」からご紹介します。
人間の過剰エネルギーというのは時々人間に余分な動作をさせる。病人の中にでも、過剰なエネルギーが病気の基になっている事もあれば、病気の経過を邪魔している事もある。この間も足を怪我した人がおりました。少し親切にしましたら、歩けない。立てない。少なくとも私の前では立てないのです。歩けないままでいたいのです。それで今日は仙椎をショック致しました。過剰エネルギーの調整です。性欲というのは余分な甘えになり、余分な自己主張になり、妙な観念をしっかり抱いて離さなくなったり、古い感情を今の如くに感じてしまったりというようないたづらをします。だからそういう過剰エネルギーの動く傾向というものを知らないと相手を観るという事がとても難かしい。
先程来た人は肩が凝って頸が硬くなっている。肝臓が悪い。食べ過ぎであろうか、いや、エネルギーを捨て損なっている状態なのです。当人は何とか云っておりましたが、そのことを申しましたら慌てて「それで因っているのです。これが永久に回復しなかったら私は死んだ方がいいと思う」と云う。死んだ方がいいと云うのも、過剰エネルギー、性欲の大脳昇華状態なのです。そんな事で病気を非常に恐がったり、病気と対立してこんな病気平気だと云って力んでみたりするようなのは皆、その背後に性欲の昇華、過剰エネルギー現象があるのです。そういうものをしっかりと掴まえておきませんと、相手を観るという事が判らなくなってしまう。
心だけでなく体にもそういう過剰エネルギーがあると硬くなる。特に背骨など皆硬くなってしまう。年をとって硬くなるのはくたびれて硬くなるのです。若くて硬くなっているのはエネルギーが余って硬くなっている。そして自分の体を皆硬張らしてしまう。水落などを余分に硬くしてしまう。体を観る事が丁寧に行なわれて、観えるようになったとしても、性欲の動きとか、エネルギーの集中、分散とかいうものをその角度から観ないと、判らない事が多くて、ただ体を触っているだけでは判らない事が沢山にあるのです。だから練習と一緒に観察の問題を是非丁寧にやって頂きたいと思う。そうでなければ意味がありません。
個人指導の急処は今云ったような、個人を観察する事で、この中の急処と云えば気です。気がどのように心を動かしているか、人に負けまいと気張っているという事があれば、気負っている。気負っているのは気で負けた、気で圧倒されたこと。劣等感というのは観念的な心の現象ですが、気の位負けというようなものがあって、気が充ちている人に会うと何かさからってみたい、何か悪口を云ってみたい、何か意地悪をしてみたい、何かそうしないと負けてしまうように思う。
無理にやると汗が出て、くたびれたりしてしまう。そういう事があって余分に気を立てている状態が、気張るとか気負うとかいうのです。だからその気を立てているのを見ただけで「ああ、気張っているな」ということが判る。ますます気を立てれば、ただ気張りでなくて、もう気で負けてしまっているなと判る。
もっと気が上に上がってしまっていれば怒っている、意気が上がるとかいうようにいろいろありますが、何かそういう気をみて、気から心に入り、体に入り、又出て性欲に行き、食欲に行き、またその人の行動要求、或いは大脳的な気取り、毀誉褒貶を大事にするとか、愛想を大事にするとかいうような文化的な気取り、或いは本能的な自己保存という要求、そういうようなものを観てゆき、それがどういう状態なのか、体にどう現われているのか、それから体の全体のバランスをとる方法を構じるというのが個人指導の方法なのであります。
だから個人指導という事を行なうのに、指だけやたらに磨くというよりは、どういうように指を使えば急処に触れるか、こういう動きの場合には何処と何処のポイントが大事なのかそれを見極めて、そういうポイントを使わないで調節出来れば尚よい。急処を使うのではいけないのです。
今日来た人で虫様突起炎だという人がおりました。此処が痛いという。それでその逆側の方を思いきって強く押えて、「今お腹が痛いか、お腹に力を入れてごらんなさい」と云うと、「痛くない」と云う。この手を放して「もう一回自分で触ってごらんなさい」と云ったら、「痛くない」という。その人が「盲腸なら腰椎二でしよう」と云う。触手法の講習に出ていた人でよくそんな事を覚えていたものだと感心しましたが、盲腸は二です。救急操法として教えたのです。二を押すと、押す都度に曲がりやすくなります。二を押して逆をもう一回押すという事をやっておけば大丈夫です。そうでなくて、急処だけ押えて痛みが止まったからそれでよしとしておくと又繰り返す。急処を押えた後で逆をやるという事を知らないと判らない。
けれども痛んでいるので緊張しているのだから、逆を緊張させるという意味で押えるという事は操法になる。お尻なら頭を押える。頭なら尾骨を押える。右なら左を押える。左なら右を押える。前なら背中を押える。というように、逆の処を攻めていくというような事は極めてやりやすい操法で、急処を乱用するよりは、その方が手軽に使いこなせます。
参照1:なぜ性欲を本能として教えるの?
参照2:結婚するなら、がぜん、草食男子!?
参照3:草食男子に恋愛の火をつける、必須2か条とは?
参照4:「草食系男子」、「肉食系男子」結局モテるのはどっち!?
参照5:男女の性欲
参照6:感じて動く
参照7:陰主陽従
参照8:センタリング呼吸法からバランス運動療法へ
人間の過剰エネルギーというのは時々人間に余分な動作をさせる。病人の中にでも、過剰なエネルギーが病気の基になっている事もあれば、病気の経過を邪魔している事もある。この間も足を怪我した人がおりました。少し親切にしましたら、歩けない。立てない。少なくとも私の前では立てないのです。歩けないままでいたいのです。それで今日は仙椎をショック致しました。過剰エネルギーの調整です。性欲というのは余分な甘えになり、余分な自己主張になり、妙な観念をしっかり抱いて離さなくなったり、古い感情を今の如くに感じてしまったりというようないたづらをします。だからそういう過剰エネルギーの動く傾向というものを知らないと相手を観るという事がとても難かしい。
先程来た人は肩が凝って頸が硬くなっている。肝臓が悪い。食べ過ぎであろうか、いや、エネルギーを捨て損なっている状態なのです。当人は何とか云っておりましたが、そのことを申しましたら慌てて「それで因っているのです。これが永久に回復しなかったら私は死んだ方がいいと思う」と云う。死んだ方がいいと云うのも、過剰エネルギー、性欲の大脳昇華状態なのです。そんな事で病気を非常に恐がったり、病気と対立してこんな病気平気だと云って力んでみたりするようなのは皆、その背後に性欲の昇華、過剰エネルギー現象があるのです。そういうものをしっかりと掴まえておきませんと、相手を観るという事が判らなくなってしまう。
心だけでなく体にもそういう過剰エネルギーがあると硬くなる。特に背骨など皆硬くなってしまう。年をとって硬くなるのはくたびれて硬くなるのです。若くて硬くなっているのはエネルギーが余って硬くなっている。そして自分の体を皆硬張らしてしまう。水落などを余分に硬くしてしまう。体を観る事が丁寧に行なわれて、観えるようになったとしても、性欲の動きとか、エネルギーの集中、分散とかいうものをその角度から観ないと、判らない事が多くて、ただ体を触っているだけでは判らない事が沢山にあるのです。だから練習と一緒に観察の問題を是非丁寧にやって頂きたいと思う。そうでなければ意味がありません。
個人指導の急処は今云ったような、個人を観察する事で、この中の急処と云えば気です。気がどのように心を動かしているか、人に負けまいと気張っているという事があれば、気負っている。気負っているのは気で負けた、気で圧倒されたこと。劣等感というのは観念的な心の現象ですが、気の位負けというようなものがあって、気が充ちている人に会うと何かさからってみたい、何か悪口を云ってみたい、何か意地悪をしてみたい、何かそうしないと負けてしまうように思う。
無理にやると汗が出て、くたびれたりしてしまう。そういう事があって余分に気を立てている状態が、気張るとか気負うとかいうのです。だからその気を立てているのを見ただけで「ああ、気張っているな」ということが判る。ますます気を立てれば、ただ気張りでなくて、もう気で負けてしまっているなと判る。
もっと気が上に上がってしまっていれば怒っている、意気が上がるとかいうようにいろいろありますが、何かそういう気をみて、気から心に入り、体に入り、又出て性欲に行き、食欲に行き、またその人の行動要求、或いは大脳的な気取り、毀誉褒貶を大事にするとか、愛想を大事にするとかいうような文化的な気取り、或いは本能的な自己保存という要求、そういうようなものを観てゆき、それがどういう状態なのか、体にどう現われているのか、それから体の全体のバランスをとる方法を構じるというのが個人指導の方法なのであります。
だから個人指導という事を行なうのに、指だけやたらに磨くというよりは、どういうように指を使えば急処に触れるか、こういう動きの場合には何処と何処のポイントが大事なのかそれを見極めて、そういうポイントを使わないで調節出来れば尚よい。急処を使うのではいけないのです。
今日来た人で虫様突起炎だという人がおりました。此処が痛いという。それでその逆側の方を思いきって強く押えて、「今お腹が痛いか、お腹に力を入れてごらんなさい」と云うと、「痛くない」と云う。この手を放して「もう一回自分で触ってごらんなさい」と云ったら、「痛くない」という。その人が「盲腸なら腰椎二でしよう」と云う。触手法の講習に出ていた人でよくそんな事を覚えていたものだと感心しましたが、盲腸は二です。救急操法として教えたのです。二を押すと、押す都度に曲がりやすくなります。二を押して逆をもう一回押すという事をやっておけば大丈夫です。そうでなくて、急処だけ押えて痛みが止まったからそれでよしとしておくと又繰り返す。急処を押えた後で逆をやるという事を知らないと判らない。
けれども痛んでいるので緊張しているのだから、逆を緊張させるという意味で押えるという事は操法になる。お尻なら頭を押える。頭なら尾骨を押える。右なら左を押える。左なら右を押える。前なら背中を押える。というように、逆の処を攻めていくというような事は極めてやりやすい操法で、急処を乱用するよりは、その方が手軽に使いこなせます。
参照1:なぜ性欲を本能として教えるの?
参照2:結婚するなら、がぜん、草食男子!?
参照3:草食男子に恋愛の火をつける、必須2か条とは?
参照4:「草食系男子」、「肉食系男子」結局モテるのはどっち!?
参照5:男女の性欲
参照6:感じて動く
参照7:陰主陽従
参照8:センタリング呼吸法からバランス運動療法へ
by centeringkokyu
| 2010-07-29 00:01
| 全生など