2010年 06月 16日
引かれる力の応用 |
「わが師 わが父を語る 西式健康法の創始者・西勝造の精神」西大助著からご紹介します。
▼虚を表わす大渦巻
「方」と「法」との違いについて
大都市生活を営むわれわれにとっては、ヨーガの実修は難しいものとなったが、かと言ってこれが密教という宗教になり象徴化の極限にまで発展すると、実際生活から遊離したものになってしまう、ということです。そうして、都市生活に適した簡略なる健康法(つまり西式)が必要なのであり、その奥には当然ヨーガが厳存する、とも述べたのでありました。
ところで最近ヨーガが世界的に盛んになりまして、日本でもヨーガの指導者が増えてまいりました。これは発祥地のインドがながらく英領でありました関係で、ヨーガの文献が、たいていイギリス人によって発掘されており、その英訳も多いわけですから、英語の普及している日本におきましては、ヨーガ文献が手に入りやすく、また読みやすいので、このようなヨーガ時代が現出したのではなかろうか、と考えられるのであります。
そうして、ヨーガ実修者のなかには「西式健康法もまたヨーガから派生したものだ」と説く人々が出てきたということであります。西式も大変有名になったもので、これは一面慶ばしいことでありますが、西式健康法もまたヨーガの一分派であるという見方に対しましては、これはまったくの誤りであると言わねばなりません。かと申して、西式の土台の一部にヨーガがまったく無いのかというと、これもまた誤りでありまして、学祖が学ばれました三百六十二種と言われる健康法のなかには、当然ヨーガが含まれているはずであります。
では、ヨーガというのは、最近流行の「何々健康法」と称する、単なる部分的健康法でありましょうか。私は、そうではなくて、全体的な健康生活法であり、またそうでなければならないと思います。西式健康法もまた然りで、最近流行の何々健康法という類のものと一緒にされては、かなわないのであります。そもそも「健康法」というのは、西式がはじめて言い出したものでありまして(と、思うのですが) 「法」というのは単なる「方法」を略しての「法」ではないのであります。西式も、最初から「法」とは言っておらず、はじめは 「強健術」と言っていたのでありますが、創始者が「法」としての自覚を持ったればこそ「健康法」と称したの.であります。
方法の 「方」というのは、ノアの方舟と書くので判りますように四角形であります。四角形は東西南北という方向があり、東は西に相対するものですから、方というのは部分であります。
「法」というのは「定め」でありまして、全体の「おきて」であり、仏教を仏法(仏陀の定め)といい「諸法皆空」と申しますように 「万物」を「法」と称するのであります。
つまり「方」は部分、「法」は全体と考えればよろしいわけですから「健康法」と申しますのは「すこやか(健)で、やすらか(康)な、すべて」であり、それに「西式」がつきますと「西勝造が型取り(式は鋳型のこと)した、すこやかで、やすらかな、生活のすべて」ということになるのであります。
近頃巷間で健康法と称しているものは、ほんの一部分の痛みを除こうとしたり、食欲・性欲の減退を満たそうとしたりするもので、すべて自己の欲望から出発したものばかりであります。体にとって気持ちのよいものなら何でも健康法だというのであれば、御飯を食べるのも健康法、口中をさわやかにするのが健康法であるのなら、仁丹を口に含むのも健康法、小便たれるも健康法、御飯健康法・仁丹健康法・小便健康法、というわけで、まったく困りはてた趨勢であります。そのうちに医者も、処方箋と書くのをやめて処法箋と書くようになるかも知れん。これというのも、ことばを発音に依らずに文字でとらえようとするからで、方はハウ、法はハフ・ホフという具合に昔のとおりにいちおう漢字の正音を教えるだけは教える教育をしておけばよかったのであります。発音が違えば、意味もまた異なるということが自然にわかるはずであります。
西式健康法がヨーガから派生したというヨーガ信奉者のデッチ上げに反論するために、ついコーフンして長々と述べてしまいましたが、かと申して、学祖も私も、ヨーガをクダランものとして否定しようとしたわけではないのであります。
▼西式は引かれるカの応用
空間を填(う)めるために万物は動く
前章で述べましたように、学祖の考え方の根本をなす思想は、すべて引かれる力の応用ということに尽きるのであります。
西式と合気道、一方は健康法で、一方は武術でありますが、植芝盛平先生と学祖とは、ぴったりと考え方が一致いたしました。それはなぜかと申しますと、両者とも、この引かれる力を応用したものであったからです。合気道は相手の押してくる力を利用して、それを引っばり出して、相手が、自分の力で自然に負けるように仕向ける方法でありましょう。
西式は、自己の心身に「虚」をつくり、大自然の活力が、その空間に引き寄せられ、虚を填めようとする力の応用法であります。
したがいまして、万物は、無が有に転じようとする動きのなかに、生命活動を生ずると見るのであります。
無を知るためには、周囲に有という相対物がなければ知ることができません。絶対無は認識できませんが、相対無なら認識できます。失われた物質は、かつてあったから失われたということを知りえたのであります。Aさんの所有物がBさんの所有物に移動すると、Aさんは、Bが私の物を盗ったと人に告げ、自分は品物を失ったと思います。しかし、それはAさんが見ての「無」であって、Bさんから見れば「有」であり、品物そのものは、単に、持ち主を替えただけでありまして、厳として存在し続けているのであります。
空間を填めようとして万物は移動を続けます。つまり、すべてのものは、なんとかして安定を得たいのであります。安定したいからこそ動くのであります。手を心臓より上にあげて細かく振りますと、心臓より上の部分の血液は、早く心臓というタンクに戻ろうと致します。そうすると、できそうになる血管の空間を填めようとして、動脈を血液が流れ動き出すのであります。新しい血液を送る前に、古い血液を除いてやる方法が毛管運動でありまして、すべて、空間の吸引作用を応用するのが西式であります。
▼田中万川と植芝盛平(6) ー京都合気道史ーから引用します。
西会の西先生とは、西式健康法創始者の西勝造 (1884~1959)のことである。西勝造先生は膨大な医学、民間療法、その他の学問を集大成し近視眼的に陥った現代医学を厳しく批判する。予防医学の重要性を説く西式健康法はその原理をもって「西医学」と称され、かつて数十万人の国民がその学説と応用を実践し、驚くべき効果を体験していると、昭和25年の参議院において内閣総理大臣吉田茂との国会答弁がなされた。
西勝造先生は開祖植芝盛平と親交があり、財団法人合気会の理事を務めている。西先生は語る「合気道の実演の姿を見ているとそれはちょうど西式の六大法則を形どる正三角四面体が回転をし始め球体となり、その回転の姿が重心を失わず、伸びたりちぢんだり色々変化するのと一致している。これは一つの統一された姿であり、この統一された時が一番健康な姿である」(植芝盛平監修、植芝吉祥丸著「合気道」光和堂)
西勝造先生は自ら主宰する西会々員に「西会々員は合気道を学ぶべし」と奨励した。当時、西式健康法の組織は日本全国にありアメリカに及ぶ。各地の西会支部では植芝盛平先生を招聘して合気道講習会が開かれた。(引用終了)
参照1:あこがれのハワイ航路
★合気道が日本以外の国で指導されたのは昭和28年(1953年)フランスとハワイです。ハワイは西式健康法のハワイ支部の人達が、日本でもまだあまり知られてない合気道に注目し、合気道本部道場師範部長の藤平光一先生を講師として招いたのが発端です。
私達が今準備体操で行っている一教運動、二教運動、小手返し運動、体捌きの入身、転換、回転などは全て藤平先生がハワイで指導するために考え出したものです。
参照2:合気道の神髄
参照3:植芝翁を悼む
参照4:対談 中川一政X野口晴哉
参照5:合気とりあえず理論
by centeringkokyu
| 2010-06-16 00:01
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