2010年 05月 09日
無意識の抵抗 |
「体運動の構造 第二巻」 野口 晴哉著からご紹介します。
背骨を押えて、「これはどうか」と訊いていく内に、相手の注意がそこに集まると、弾力が出てくるのです。そのために背骨の可動性の調べということが必要なのです。
背骨は曲がっていてはいけないものと決めて、それを直そうと、形から入る人がいますが、それは違うのです。相手の椎骨の可動性を調べながら、「ここは痛くないか」と訊く。相手は痛いはずのない処が痛かったりすると、そこに注意が集まる。すると、もっとよく感じようとする要求が自動的に冗まってくる。つまり、余剰エネルギーがそこに集まるのです。そうして、その余分なエネルギーを発散させてしまうとその人本来の状態がつかめるのです。
それを、いきなりガッと押して、相手が「痛い」とでも言えば、「悪いから当り前だ」となお押したりすれば、「妙になった」と言われても仕方がありません。その場合、押されて妙になったのか、「悪いからだ」と言われたことに反抗が生じて妙になったのか判りませんが、そういうことで、意識しない内に反感をそそることはよくあるのです。相手の無意識の抵抗を起こさせないで、こちらのやることを受け容れるよう仕向けるにはどうしたらいいか、これは大事な問題なのです。
「いや、じきに治るよ」という言葉でも、相手によっては反抗の因(もと)になるのです。病気を抱えて困っているのだから、軽く診られたら喜びそうなものなのに、必ずしもそうではないのです。だから、「なんでもないよ」と言われて、無意識に起こる反抗が、とんでもない方向に動いてしまうことばよくあることです。相手のそれを経験したことのある人は、怖いので今度は一生懸命、大袈裟に扱う。そうすると肝を潰して萎縮してしまう。その体の実体を観ないで、ただ、その格好とか、形だけから入っていこうとすると、そういうことになるのです。
大事なのは格好でなくて、そこにあるエネルギーが、どれ位、どのように動いているか、それを見極めるということです。そうすれば、大袈裟に言うことも是、内輪に見積ることも是、治らないということも是、治るということも是です。ただ、その見極めがつかないで、相手がどうとるか判らないのに働きかけるというのは、大変に不都合なことです。
#楽隠居です
『相手の無意識の抵抗を起こさせないで、こちらのやることを受け容れるよう仕向ける』というのは、治療家にとって、大切な技術だと思います。ただ、武術的に考えると、相手の無意識の抵抗までこちらが有利な状態にするために利用しなければなりません。
そして『大袈裟に言うことも是、内輪に見積ることも是、治らないということも是、治るということも是です。』は、潜在意識に「入れる・抜く・付ける」という事に繋がるのではないかと、ふと思ったのですが・・・
まぁ~「色に付け 色に随う」という感じでしょうか?
バランス運動療法では、固まっている部位を確認して、その部位に息を吸って貰うように誘導してから、呼吸の隙間でちょっとずらして、息を吐きながら力を抜いて貰います。上手くいくと、一番気になっていた実の部位と、虚の部位のバランスがとれて、どちらも平になります。いろいろと試してみて下さい。
きっと、呼吸を意識することの効用に気付かれると思います。
▼OAさんのブログ 観照塾 2010.05.08 から引用します。
昨日の観照塾前には、I尻さんに竹刀の振り方を教えて頂きました。
息を思い切り吸い込んで、臨界点に達したところで一気に吐き切ることで、無理な力を入れること無く竹刀の上げ下ろしが出来ることが実感出来ました。
繰り返し竹刀を振っている内に、呼吸に合わせて体を動かすということは、私が考えていたよりもずっと自然なことだと感じるようになりました。
詳しくは、感想文11をお読み下さい。
参照1:剣を使った呼吸力養成法
参照2:投げない柔術 振らない剣術
参照3:手で触れてその感触を味わう
参照4:剣道修行と呼吸
参照5:身体を鍛えない
背骨を押えて、「これはどうか」と訊いていく内に、相手の注意がそこに集まると、弾力が出てくるのです。そのために背骨の可動性の調べということが必要なのです。
背骨は曲がっていてはいけないものと決めて、それを直そうと、形から入る人がいますが、それは違うのです。相手の椎骨の可動性を調べながら、「ここは痛くないか」と訊く。相手は痛いはずのない処が痛かったりすると、そこに注意が集まる。すると、もっとよく感じようとする要求が自動的に冗まってくる。つまり、余剰エネルギーがそこに集まるのです。そうして、その余分なエネルギーを発散させてしまうとその人本来の状態がつかめるのです。
それを、いきなりガッと押して、相手が「痛い」とでも言えば、「悪いから当り前だ」となお押したりすれば、「妙になった」と言われても仕方がありません。その場合、押されて妙になったのか、「悪いからだ」と言われたことに反抗が生じて妙になったのか判りませんが、そういうことで、意識しない内に反感をそそることはよくあるのです。相手の無意識の抵抗を起こさせないで、こちらのやることを受け容れるよう仕向けるにはどうしたらいいか、これは大事な問題なのです。
「いや、じきに治るよ」という言葉でも、相手によっては反抗の因(もと)になるのです。病気を抱えて困っているのだから、軽く診られたら喜びそうなものなのに、必ずしもそうではないのです。だから、「なんでもないよ」と言われて、無意識に起こる反抗が、とんでもない方向に動いてしまうことばよくあることです。相手のそれを経験したことのある人は、怖いので今度は一生懸命、大袈裟に扱う。そうすると肝を潰して萎縮してしまう。その体の実体を観ないで、ただ、その格好とか、形だけから入っていこうとすると、そういうことになるのです。
大事なのは格好でなくて、そこにあるエネルギーが、どれ位、どのように動いているか、それを見極めるということです。そうすれば、大袈裟に言うことも是、内輪に見積ることも是、治らないということも是、治るということも是です。ただ、その見極めがつかないで、相手がどうとるか判らないのに働きかけるというのは、大変に不都合なことです。
#楽隠居です
『相手の無意識の抵抗を起こさせないで、こちらのやることを受け容れるよう仕向ける』というのは、治療家にとって、大切な技術だと思います。ただ、武術的に考えると、相手の無意識の抵抗までこちらが有利な状態にするために利用しなければなりません。
そして『大袈裟に言うことも是、内輪に見積ることも是、治らないということも是、治るということも是です。』は、潜在意識に「入れる・抜く・付ける」という事に繋がるのではないかと、ふと思ったのですが・・・
まぁ~「色に付け 色に随う」という感じでしょうか?
バランス運動療法では、固まっている部位を確認して、その部位に息を吸って貰うように誘導してから、呼吸の隙間でちょっとずらして、息を吐きながら力を抜いて貰います。上手くいくと、一番気になっていた実の部位と、虚の部位のバランスがとれて、どちらも平になります。いろいろと試してみて下さい。
きっと、呼吸を意識することの効用に気付かれると思います。
▼OAさんのブログ 観照塾 2010.05.08 から引用します。
昨日の観照塾前には、I尻さんに竹刀の振り方を教えて頂きました。
息を思い切り吸い込んで、臨界点に達したところで一気に吐き切ることで、無理な力を入れること無く竹刀の上げ下ろしが出来ることが実感出来ました。
繰り返し竹刀を振っている内に、呼吸に合わせて体を動かすということは、私が考えていたよりもずっと自然なことだと感じるようになりました。
詳しくは、感想文11をお読み下さい。
参照1:剣を使った呼吸力養成法
参照2:投げない柔術 振らない剣術
参照3:手で触れてその感触を味わう
参照4:剣道修行と呼吸
参照5:身体を鍛えない
by centeringkokyu
| 2010-05-09 22:51
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