2005年 04月 08日
テレパシー |
数日前に、古書店の100円均一本の中から、偶然「研心抄」中村天風著を見つけました。昭和23年に書かれた本を昭和46年に発行されたものでした。20年位前、気の研究会に所属していた時期に「錬心抄」とセットで読んだ記憶があります。しかし、処分してしまいました。今回読みなおすと、結構興味深い事が書かれていましたのでご紹介します。
すべての思考または感情の発動にはエネルギーの表現を伴う。換言すれば一切の思念はエネルギー表現の結果現象であるといえる。
即ちすべての意念や情念の現れは、生物学的にこれをいえば脳または神経組織の活動する結果の現象なので、それが一つのリズムとなって表現への過程を作為するので、それは丁度電気が科学的エレメントから構成されて、いろいろと変化されるのと同様なのである。
多くいうまでもなく万物には真の破壊滅亡というものはない。ただあるのは変化のみである。これは初歩の物理学で誰でも知悉するところであろうが、とにかく吾人の思考、または情念というものも、それは宇宙エネルギーから変化された一現象なのである。
これは極めて幼稚な智識でも判ることと思うが、電流を線を通じて電球内のヒラメントに送ると、その電流は直ちに光に変化する。また他の伝導方法を行うと、今度は熱に変化したり力に変化する。これと同様の真理で宇宙エネルギーが人間の心的機関に反応して、意念となり情念に変化するのである。
そして更に電気を無線放送すると、電波はその固有性で四方に放射され、適当の受信装置があると直ちにこれに感応して一つの力に変化する。無線電信やラジオがそれである。
これと同様に人間の感情や思想に変化したエネルギーの波は、やはり放射性能を固有するため四方に放射され且つ進行する、そしてその思考意念の波が他の人の受信装置に感応すると、そのエネルギーの波は即坐に再生して、その波の通りの思考意念をその感応した人に起こさせる。それは丁度音波が電流で送られて、発信装置に到入して再びそれが声となるところの電話やラジオと同様の現象である。
要するにこれが感通作用(テレパシー)の基本的原理で且つその現象に対する要約なのである。
然し、人間の肉体にある五官感覚機能が、その思想や感情に変化されたエネルギーを感通するのではなく、五官の感官は単にそれを受容して、巧妙なる設計の下に連繋されている神経線を通じて神経中枢にこれを伝達し、神経中枢は更にこれを脳髄府に伝達する、そして感通の要素がここに構成される。
こういう訳で、五感の感官はテレパシーの第一関門として極めて重要なものではあるが、それより以上に重要なものは、五官感官と神経中枢とを連繋する神経線なのである。何故ならば一寸でもそのワイヤが中断されるとしたら、それこそ大変で、五官が如何に立派に存在していても、絶対その用をなさぬこととなる。即ち眼はパッチリと開いていても、何ものをもその印象を神経中枢に伝達しない。丁度フィルムのない写真器のレンズだけを開いたのと同様である。耳、鼻、舌等何れも皆同様に在って無きに等しい無能のものとなり了る。
が何といってもテレパシー成就の最後に重要なものは精神=心である。要するに正当なawareness=知覚識の要素がこの処においてのみ構成されるからである。
※管理人です
アクティブ・タッチということともつながると思うのですが、神経の伝達及びその訓練ということが、ボディーワーク全般の重要なテーマになっているような気がします。私がフェルデンクライス身体訓練法を独習したときに感じた事も、呼吸と動作と意識による筋肉及び神経の伝達の重要性でした。10周年記念誌陰主陽従に、アクティブ・タッチについては書いてあります。
財団法人天風会は、こちらをご覧下さい。
参照:“思い”はなぜ伝わるのか?
すべての思考または感情の発動にはエネルギーの表現を伴う。換言すれば一切の思念はエネルギー表現の結果現象であるといえる。
即ちすべての意念や情念の現れは、生物学的にこれをいえば脳または神経組織の活動する結果の現象なので、それが一つのリズムとなって表現への過程を作為するので、それは丁度電気が科学的エレメントから構成されて、いろいろと変化されるのと同様なのである。
多くいうまでもなく万物には真の破壊滅亡というものはない。ただあるのは変化のみである。これは初歩の物理学で誰でも知悉するところであろうが、とにかく吾人の思考、または情念というものも、それは宇宙エネルギーから変化された一現象なのである。
これは極めて幼稚な智識でも判ることと思うが、電流を線を通じて電球内のヒラメントに送ると、その電流は直ちに光に変化する。また他の伝導方法を行うと、今度は熱に変化したり力に変化する。これと同様の真理で宇宙エネルギーが人間の心的機関に反応して、意念となり情念に変化するのである。
そして更に電気を無線放送すると、電波はその固有性で四方に放射され、適当の受信装置があると直ちにこれに感応して一つの力に変化する。無線電信やラジオがそれである。
これと同様に人間の感情や思想に変化したエネルギーの波は、やはり放射性能を固有するため四方に放射され且つ進行する、そしてその思考意念の波が他の人の受信装置に感応すると、そのエネルギーの波は即坐に再生して、その波の通りの思考意念をその感応した人に起こさせる。それは丁度音波が電流で送られて、発信装置に到入して再びそれが声となるところの電話やラジオと同様の現象である。
要するにこれが感通作用(テレパシー)の基本的原理で且つその現象に対する要約なのである。
然し、人間の肉体にある五官感覚機能が、その思想や感情に変化されたエネルギーを感通するのではなく、五官の感官は単にそれを受容して、巧妙なる設計の下に連繋されている神経線を通じて神経中枢にこれを伝達し、神経中枢は更にこれを脳髄府に伝達する、そして感通の要素がここに構成される。
こういう訳で、五感の感官はテレパシーの第一関門として極めて重要なものではあるが、それより以上に重要なものは、五官感官と神経中枢とを連繋する神経線なのである。何故ならば一寸でもそのワイヤが中断されるとしたら、それこそ大変で、五官が如何に立派に存在していても、絶対その用をなさぬこととなる。即ち眼はパッチリと開いていても、何ものをもその印象を神経中枢に伝達しない。丁度フィルムのない写真器のレンズだけを開いたのと同様である。耳、鼻、舌等何れも皆同様に在って無きに等しい無能のものとなり了る。
が何といってもテレパシー成就の最後に重要なものは精神=心である。要するに正当なawareness=知覚識の要素がこの処においてのみ構成されるからである。
※管理人です
アクティブ・タッチということともつながると思うのですが、神経の伝達及びその訓練ということが、ボディーワーク全般の重要なテーマになっているような気がします。私がフェルデンクライス身体訓練法を独習したときに感じた事も、呼吸と動作と意識による筋肉及び神経の伝達の重要性でした。10周年記念誌陰主陽従に、アクティブ・タッチについては書いてあります。
財団法人天風会は、こちらをご覧下さい。
参照:“思い”はなぜ伝わるのか?
by centeringkokyu
| 2005-04-08 22:17
| 本などの紹介