2010年 04月 16日
技術の真髄は言葉で説明できない |
▼KMさんからのメールをご紹介します。
先週の観照塾の感想をメールさせて頂きます。
・ 作用と反作用
・ 肩甲骨、肋骨の広がり
・ 身体の丸みを感じる
・ 相手の流れを感じる → 肘、肩を抜く
以上のような感想を持ちました。
自分の身体への意識が平面的であるように感じました。
次回も宜しくお願い致します。
#楽隠居です
一種類の体操をしただけなのに、皆さんからいろいろなメールを頂戴します。技を繰り返すだけの稽古ではなく、動けば技になる稽古をしているということをご理解頂いている証拠ではないかと、喜んでいます。
「天地人の串刺し」と似た動きを、今日の産経新聞朝刊で見つけましたので、貼り付けます。指先の感じや身体の中の繋がり方を想像していただきたいと思います。上がっている腕の角度が違うので、その分は割り引いてくださいね!
▼時々購入している珈琲屋さんからのメールをご紹介します。
コーヒーの焙煎にしても何の仕事にしても行き詰ることはあります。
そうした時たいてい何ををするかというと情報を集めだします。
それは何か自分の知らない画期的な情報があって自分はそれを知らない。だからうまく焙煎できないと考えるわけです。
いまはコーヒーの焙煎方法について書かれた情報が手に入りやすくなりました。アメリカやドイツにも焙煎する方法論として書かれた論文などがあります。
たとえば焙煎するバーナーを増やして、火力を上げる。また焙煎する時間をウォッチで計測し、データを蓄積させていく、など方法論はさまざまあります。
本のタイトルに、画期的方法などと書いている本を読めば確かにその通りだと思うときもあります。なるほどそういう方法があったのかと考え、その方法を試してみるわけですが、なかなか書かれているようにうまくいかないということが、ほとんどです。
考えてみれば、これは当たり前のことです。本に書いてある方法は、あくまでもその本を書いている人がそうやった結果うまくいったという事例のひとつであって、その方法がすべての人に共通してうまくいくとは言えません。
置かれている環境や状況は、人それぞれ異っているからです。
たとえばコーヒーの焙煎の場合、焙煎釜を使用します。この焙煎釜には焙煎時に発生する煙を排気するための煙突がついているのですが、この煙突の長さが異なると、焙煎機の排気効率が異なります。排気効率が異なると、焙煎釜の中のコーヒー豆に当たる熱の当たり方が変化します。つまり同じ焙煎釜を使用していても、コーヒー豆に当たる熱量は同じではないということがあったりします。
ではそうした知識を求めることは無駄なのかというとそうではないでしょう。自分自身で疑問を持ってそれを解決させたいから、人はいろいろな知識を得ようともがきます。
たとえば本屋に行ってもたくさんの本があります。どういう本を読めばいいのかわからない。だからいろいろな本を手にとって、買ってみたりしますが答えとなるようなことは書かれていない。そのときは無駄だったとがっくりとしますが、何年も経ってその時に読んだ本の内容が、別の問題を解決させるヒントとなったりすることもあります。
結局は何の知識を手に入れるかということより、問題を解決させようと試行錯誤して、自分自身で考え、行動していく課程が重要なのだと言えないでしょうか。
一番良くないのは、そうした試行錯誤する課程を本人がしていないのに、第三者が「この本を読んだほうほいいよ」、「こんな方法を試してごらん」と安易に手を差し伸べることです。
一見親切な行為のように見えますが、それは余計なお世話です。それはその人の学ぶ機会を奪っているとも言えるからです。
コーヒーの焙煎にしても、教えることは確かにあります。しかし教える人に準備がないときに、何かを教えても、わかった気になって終わってしまう。その時にはわかったという感覚を持ちますが、それは錯覚です。錯覚だからいざというときに使いこなせない。
そもそも技術の真髄とは言葉で説明できないものがほとんどで誰かに教えてもらったりして、何かがわかるということは実はとても少ない。
何かを教えてもらうことより悩みや問題を抱えていて、それを解消しようと自分から知識と体験を積極的に積んで、時が来るのを待つことの方が重要だと言えます。
知識を集めたり、さまざまなことを試しているとある日誰かの何気ない一言や、目の前の出来事を見て、それがきっかけで「あぁ、こうすればいいのか」と気付くことがあります。それは案外単純なことだったりすることがほとんどですがその単純なことは、自分にとっては宝物です。
こうした気付きは、こうしたら起こるということは言えなくて結局自分考えて考えて自分を極限まで追い詰めていくしか他にありません。こうしたことがあるので技術を身につけるということは時間がかかるというのが実感です。つまり待つという感覚。
こうした時間が待てるのは根本に「楽しさ」があるからです。自分自身が楽しいと思える実感がないとなかなか継続できないし、技術も向上していかない。
難しいのは大人の楽しさというものは、基本的に人から与えられたりするものではないということです。本当の楽しさは自分の中から湧き出るものであり、自分で作るものであると言ってよいでしょう。
コーヒーの焙煎の現場というものは仕事である以上、最初は楽しくないことが当たり前です。職人仕事なんてほとんどがそうだと思います。しかし自分の力で何かに気付き、こういうことができるようになった、こういうことを考えたという部分が出てくると、最初は楽しいなんて思えなかったことが、楽しくなっていく瞬間があります。
「楽しい」と「楽しくない」の境目です。
最初にあった「楽しくない」を自分自身の力で「楽しい」に変えること。
これが技術を伸ばす最大のポイントだと私は思います。
参照1:教えないから伸びる
参照2:いろいろな気付きについて
参照3:合気の体内操作法
参照4:合気は総伝に学べ
参照5:臨界点
参照6:すべてを変える
先週の観照塾の感想をメールさせて頂きます。
・ 作用と反作用
・ 肩甲骨、肋骨の広がり
・ 身体の丸みを感じる
・ 相手の流れを感じる → 肘、肩を抜く
以上のような感想を持ちました。
自分の身体への意識が平面的であるように感じました。
次回も宜しくお願い致します。
#楽隠居です
一種類の体操をしただけなのに、皆さんからいろいろなメールを頂戴します。技を繰り返すだけの稽古ではなく、動けば技になる稽古をしているということをご理解頂いている証拠ではないかと、喜んでいます。
「天地人の串刺し」と似た動きを、今日の産経新聞朝刊で見つけましたので、貼り付けます。指先の感じや身体の中の繋がり方を想像していただきたいと思います。上がっている腕の角度が違うので、その分は割り引いてくださいね!
▼時々購入している珈琲屋さんからのメールをご紹介します。
コーヒーの焙煎にしても何の仕事にしても行き詰ることはあります。
そうした時たいてい何ををするかというと情報を集めだします。
それは何か自分の知らない画期的な情報があって自分はそれを知らない。だからうまく焙煎できないと考えるわけです。
いまはコーヒーの焙煎方法について書かれた情報が手に入りやすくなりました。アメリカやドイツにも焙煎する方法論として書かれた論文などがあります。
たとえば焙煎するバーナーを増やして、火力を上げる。また焙煎する時間をウォッチで計測し、データを蓄積させていく、など方法論はさまざまあります。
本のタイトルに、画期的方法などと書いている本を読めば確かにその通りだと思うときもあります。なるほどそういう方法があったのかと考え、その方法を試してみるわけですが、なかなか書かれているようにうまくいかないということが、ほとんどです。
考えてみれば、これは当たり前のことです。本に書いてある方法は、あくまでもその本を書いている人がそうやった結果うまくいったという事例のひとつであって、その方法がすべての人に共通してうまくいくとは言えません。
置かれている環境や状況は、人それぞれ異っているからです。
たとえばコーヒーの焙煎の場合、焙煎釜を使用します。この焙煎釜には焙煎時に発生する煙を排気するための煙突がついているのですが、この煙突の長さが異なると、焙煎機の排気効率が異なります。排気効率が異なると、焙煎釜の中のコーヒー豆に当たる熱の当たり方が変化します。つまり同じ焙煎釜を使用していても、コーヒー豆に当たる熱量は同じではないということがあったりします。
ではそうした知識を求めることは無駄なのかというとそうではないでしょう。自分自身で疑問を持ってそれを解決させたいから、人はいろいろな知識を得ようともがきます。
たとえば本屋に行ってもたくさんの本があります。どういう本を読めばいいのかわからない。だからいろいろな本を手にとって、買ってみたりしますが答えとなるようなことは書かれていない。そのときは無駄だったとがっくりとしますが、何年も経ってその時に読んだ本の内容が、別の問題を解決させるヒントとなったりすることもあります。
結局は何の知識を手に入れるかということより、問題を解決させようと試行錯誤して、自分自身で考え、行動していく課程が重要なのだと言えないでしょうか。
一番良くないのは、そうした試行錯誤する課程を本人がしていないのに、第三者が「この本を読んだほうほいいよ」、「こんな方法を試してごらん」と安易に手を差し伸べることです。
一見親切な行為のように見えますが、それは余計なお世話です。それはその人の学ぶ機会を奪っているとも言えるからです。
コーヒーの焙煎にしても、教えることは確かにあります。しかし教える人に準備がないときに、何かを教えても、わかった気になって終わってしまう。その時にはわかったという感覚を持ちますが、それは錯覚です。錯覚だからいざというときに使いこなせない。
そもそも技術の真髄とは言葉で説明できないものがほとんどで誰かに教えてもらったりして、何かがわかるということは実はとても少ない。
何かを教えてもらうことより悩みや問題を抱えていて、それを解消しようと自分から知識と体験を積極的に積んで、時が来るのを待つことの方が重要だと言えます。
知識を集めたり、さまざまなことを試しているとある日誰かの何気ない一言や、目の前の出来事を見て、それがきっかけで「あぁ、こうすればいいのか」と気付くことがあります。それは案外単純なことだったりすることがほとんどですがその単純なことは、自分にとっては宝物です。
こうした気付きは、こうしたら起こるということは言えなくて結局自分考えて考えて自分を極限まで追い詰めていくしか他にありません。こうしたことがあるので技術を身につけるということは時間がかかるというのが実感です。つまり待つという感覚。
こうした時間が待てるのは根本に「楽しさ」があるからです。自分自身が楽しいと思える実感がないとなかなか継続できないし、技術も向上していかない。
難しいのは大人の楽しさというものは、基本的に人から与えられたりするものではないということです。本当の楽しさは自分の中から湧き出るものであり、自分で作るものであると言ってよいでしょう。
コーヒーの焙煎の現場というものは仕事である以上、最初は楽しくないことが当たり前です。職人仕事なんてほとんどがそうだと思います。しかし自分の力で何かに気付き、こういうことができるようになった、こういうことを考えたという部分が出てくると、最初は楽しいなんて思えなかったことが、楽しくなっていく瞬間があります。
「楽しい」と「楽しくない」の境目です。
最初にあった「楽しくない」を自分自身の力で「楽しい」に変えること。
これが技術を伸ばす最大のポイントだと私は思います。
参照1:教えないから伸びる
参照2:いろいろな気付きについて
参照3:合気の体内操作法
参照4:合気は総伝に学べ
参照5:臨界点
参照6:すべてを変える
by centeringkokyu
| 2010-04-16 22:52
| 合気観照塾