2010年 03月 16日
目に見える動作がある前に |
▼K元さんのブログ動力系回路から引用させていただきます。
『前々から目に見える動作がある前に切られていたり、拳で打ち抜かれると感じる事が多々ありました。それが何でかがもう一つ分からず、こう感じるもんなんやと思っていました。
それが切られているから感じるのかと思って、先生に能と同じと言われやっとすっきりしました。』
▼M岡さんのブログ空間と意識を操るから引用します。
『数年前、K野先生とご一緒し、先輩のI畑さんのお招きでお能を拝見した時の経験も印象的でした。
ある演目で...「乙女」を演じているの中身は「お爺さん」(笑)...しかし、登場した瞬間、そこに「生娘」が!...本当にびっくりしました。
同じく、舞台上で、少年が出て来る場面があったのですが、「特別な会」と言う事もあり?研ぎ澄まされた空間の中、自分の役割が終わって、脇に控えた瞬間、多分「ホッと」したんでしょうね...「ふにゃっ」と空間が緩んでしまったのを目にしてしまいました。
結局、人間生活の活動って「空間と意識の関係性」だと思うのですが、凄い世界があるものですね。』
▼息のしかたから引用します。
『能・・・呼吸の美学 梅若猶彦(能楽師シテ方 ロンドン大学学術博士)
身体の内部には武器が存在してきたといえるだろう。
隠されたこの武器は、恐るべき力を発揮できた。
武士は常に二つの全く異なった武器を所有していたのだ。
外部の武器と内部の武器、つまり太刀と呼吸。
能における表現の武器としての呼吸法
武に限らず、日本の伝統的身体芸術、特にその代表とされている能楽における名人、達人たちは、「表現の武器」としての呼吸法に数百年注目してきました。彼らは呼吸法により表現体としての身体の様相が変わることに気づき、それを芸術体系に組み込む事に成功したのだと思います。身体の様相が変わるためには、自分の内部に意図的な変化を起こし、それを自分で体感するとともに、もう一つの側面、つまり身体が表現体として語り始めなければなりません。
この内的変化は微妙なものであるにもかかわらず、観客に感知され得る力強い微小さを有します。あるとき些細と思われていた内的変化が驚くべき威力を発揮し始めます。この時点で、内的変化は外に向かって語りかける表現としても成就していることになります。』(引用終了)
#楽隠居です
前回の合気観照塾の稽古では、嶺谷之事をテーマとして稽古をしました。但し、私は例によって勝手に拡大解釈して、体内操作ー呼吸ー意念を使った嶺谷を想定し、いろいろな嶺谷に関する仮説を体験していただきました。
動きとしては、侍ロボット「切り落とし君」になった積もりで、動作を分解しながら動いてみていただいたのですが、大きい動作と小さい動作の時の、体内操作ー呼吸ー意念の使い方の変化なども検証してみました。
歩法と刃筋及び嶺谷との関係についても、身体で納得していただけるような稽古にした積もりなのですが・・・
「こんな考え方があってもいいんじゃないか?」これが私の基本的な思考方法です。「呼吸法や合気は、こうあらねばならない!」というような、確固とした考え方があるわけではありません。ですから、このブログでは、様々なジャンルの本や考え方をご紹介して、柔軟な発想をしていただけるようになっていただきたいと思っています。
さて、会員用の資料保管倉庫でしかないこのブログの「これまでの訪問者数(ユニーク数)」は、18万を越えました。ご訪問いただきました皆様方に心より感謝いたします。
参照1:勝手に出来てしまうような動きやすさ
参照2:柔軟な思考
『前々から目に見える動作がある前に切られていたり、拳で打ち抜かれると感じる事が多々ありました。それが何でかがもう一つ分からず、こう感じるもんなんやと思っていました。
それが切られているから感じるのかと思って、先生に能と同じと言われやっとすっきりしました。』
▼M岡さんのブログ空間と意識を操るから引用します。
『数年前、K野先生とご一緒し、先輩のI畑さんのお招きでお能を拝見した時の経験も印象的でした。
ある演目で...「乙女」を演じているの中身は「お爺さん」(笑)...しかし、登場した瞬間、そこに「生娘」が!...本当にびっくりしました。
同じく、舞台上で、少年が出て来る場面があったのですが、「特別な会」と言う事もあり?研ぎ澄まされた空間の中、自分の役割が終わって、脇に控えた瞬間、多分「ホッと」したんでしょうね...「ふにゃっ」と空間が緩んでしまったのを目にしてしまいました。
結局、人間生活の活動って「空間と意識の関係性」だと思うのですが、凄い世界があるものですね。』
▼息のしかたから引用します。
『能・・・呼吸の美学 梅若猶彦(能楽師シテ方 ロンドン大学学術博士)
身体の内部には武器が存在してきたといえるだろう。
隠されたこの武器は、恐るべき力を発揮できた。
武士は常に二つの全く異なった武器を所有していたのだ。
外部の武器と内部の武器、つまり太刀と呼吸。
能における表現の武器としての呼吸法
武に限らず、日本の伝統的身体芸術、特にその代表とされている能楽における名人、達人たちは、「表現の武器」としての呼吸法に数百年注目してきました。彼らは呼吸法により表現体としての身体の様相が変わることに気づき、それを芸術体系に組み込む事に成功したのだと思います。身体の様相が変わるためには、自分の内部に意図的な変化を起こし、それを自分で体感するとともに、もう一つの側面、つまり身体が表現体として語り始めなければなりません。
この内的変化は微妙なものであるにもかかわらず、観客に感知され得る力強い微小さを有します。あるとき些細と思われていた内的変化が驚くべき威力を発揮し始めます。この時点で、内的変化は外に向かって語りかける表現としても成就していることになります。』(引用終了)
#楽隠居です
前回の合気観照塾の稽古では、嶺谷之事をテーマとして稽古をしました。但し、私は例によって勝手に拡大解釈して、体内操作ー呼吸ー意念を使った嶺谷を想定し、いろいろな嶺谷に関する仮説を体験していただきました。
動きとしては、侍ロボット「切り落とし君」になった積もりで、動作を分解しながら動いてみていただいたのですが、大きい動作と小さい動作の時の、体内操作ー呼吸ー意念の使い方の変化なども検証してみました。
歩法と刃筋及び嶺谷との関係についても、身体で納得していただけるような稽古にした積もりなのですが・・・
「こんな考え方があってもいいんじゃないか?」これが私の基本的な思考方法です。「呼吸法や合気は、こうあらねばならない!」というような、確固とした考え方があるわけではありません。ですから、このブログでは、様々なジャンルの本や考え方をご紹介して、柔軟な発想をしていただけるようになっていただきたいと思っています。
さて、会員用の資料保管倉庫でしかないこのブログの「これまでの訪問者数(ユニーク数)」は、18万を越えました。ご訪問いただきました皆様方に心より感謝いたします。
参照1:勝手に出来てしまうような動きやすさ
参照2:柔軟な思考
by centeringkokyu
| 2010-03-16 00:03
| 合気観照塾