2010年 02月 07日
緊張せずに感じ取る |
K元さんのご友人で、ビジターとして参加してくださった方からのメールをご紹介します。
先日の観照会にビジターとして参加させて頂いたOAと申します。
まだ歩法も木刀の振り方も基礎すら出来ていないのですが、先生方に丁寧に教えて頂けたため、楽しく練習出来ました。
木刀も最初は単に腕で振っているだけでしたが、悪い点を指摘してもらいながら練習すると、少しづつ自然な動きで身体を動かせるようになることが実感できました。
現在通っている柔道整復の専門学校で柔道の授業が終わって以来、運動をする機会がほとんど無かったのですが、自分自身が身体を動かす事が好きなのだと改めて気付きました。
今日学んだことを忘れないよう復習し、次回も参加させて頂きたいと考えていますので、ご指導よろしくお願いします。
#楽隠居です
今月は仮想対談1を配布しながら、呼吸法中心塾のレッスンをしています。その一部だけを引用します。
▼動きを理解するには緊張せずに感じ取らねばならない
学ぶには、時間、注意力、識別力が必要である。識別するには、感じ取らねばならない。要するに、学ぶためには、感覚の力を研ぎ澄まさなくてはならないのだ。ただ力だけに頼ってほとんどのことを行おうとするならば、求めているのとは全く正反対のことを実現する破目になるだろう。
行動を学ぶときには、自分の内部に生じていることに対して、自由自在に注意を向けられなくてはならない。なぜなら、そのような状態でこそ、我々の精神は明晰なものとなり、生き生きとしてコントロールしやすいものとなるのだ。そこにはもはや、力みからくる緊張というものがない。ところが、最大限の緊張という状態で学習が行われる場合、能力はすでにその限界まで使われているので、まだ不充分だと思っても、もはや行動を速めたり、強めたり、改善したりする余地はない。そうなると、息は詰まってしまい、あるのはただ過剰な努力だけ、観察する力は皆無に近くなり、改善の期待は一切なくなってしまう。(引用終了)
このことは、合気観照塾でも同じですので、観照塾では木刀や太極棒を使いますし、中心塾ではペットボトルを使っています。
今日は、中心塾芦屋日曜教室があったのですが、M岡さんがペットボトルに適温のお湯を入れて皆さんに配られました。ペットボトルの暖かさがなんとも気持がいいので、皆さんそれぞれの気に入った位置でペットボトルを持っておられました。
ふと閃いたので、皆さんに電話をかけている姿勢でペットボトルを持っていただきました。肩を上げて緊張させる人や、首をかしげて電話を持つ人がおられましたので、その姿勢から不必要な力を抜くということを確認していただきました。
そこから普段何気なくしている姿勢や、肩や腕を緊張させてから動作をしていることに気づいていただきました。体幹から動きを始めることや、捻りを上手に使うと、筋肉を緊張させるのではなく、捻ることによって筋肉が締まるということも体感していただけたのではないでしょうか。
最後には、呼吸と横隔膜・鎖骨・肩胛骨などの繋がりを感じてから、合掌姿勢で手のひらにペットボトルを挟んだままで、ゆっくり呼吸して、呼吸と共に身体の中がどのように動いているかを感じていただけたはずなんですが・・・?
参照1:大事な事が抜けている
参照2:2/7中心塾
参照3:知るための訓練 スローモーション
先日の観照会にビジターとして参加させて頂いたOAと申します。
まだ歩法も木刀の振り方も基礎すら出来ていないのですが、先生方に丁寧に教えて頂けたため、楽しく練習出来ました。
木刀も最初は単に腕で振っているだけでしたが、悪い点を指摘してもらいながら練習すると、少しづつ自然な動きで身体を動かせるようになることが実感できました。
現在通っている柔道整復の専門学校で柔道の授業が終わって以来、運動をする機会がほとんど無かったのですが、自分自身が身体を動かす事が好きなのだと改めて気付きました。
今日学んだことを忘れないよう復習し、次回も参加させて頂きたいと考えていますので、ご指導よろしくお願いします。
#楽隠居です
今月は仮想対談1を配布しながら、呼吸法中心塾のレッスンをしています。その一部だけを引用します。
▼動きを理解するには緊張せずに感じ取らねばならない
学ぶには、時間、注意力、識別力が必要である。識別するには、感じ取らねばならない。要するに、学ぶためには、感覚の力を研ぎ澄まさなくてはならないのだ。ただ力だけに頼ってほとんどのことを行おうとするならば、求めているのとは全く正反対のことを実現する破目になるだろう。
行動を学ぶときには、自分の内部に生じていることに対して、自由自在に注意を向けられなくてはならない。なぜなら、そのような状態でこそ、我々の精神は明晰なものとなり、生き生きとしてコントロールしやすいものとなるのだ。そこにはもはや、力みからくる緊張というものがない。ところが、最大限の緊張という状態で学習が行われる場合、能力はすでにその限界まで使われているので、まだ不充分だと思っても、もはや行動を速めたり、強めたり、改善したりする余地はない。そうなると、息は詰まってしまい、あるのはただ過剰な努力だけ、観察する力は皆無に近くなり、改善の期待は一切なくなってしまう。(引用終了)
このことは、合気観照塾でも同じですので、観照塾では木刀や太極棒を使いますし、中心塾ではペットボトルを使っています。
今日は、中心塾芦屋日曜教室があったのですが、M岡さんがペットボトルに適温のお湯を入れて皆さんに配られました。ペットボトルの暖かさがなんとも気持がいいので、皆さんそれぞれの気に入った位置でペットボトルを持っておられました。
ふと閃いたので、皆さんに電話をかけている姿勢でペットボトルを持っていただきました。肩を上げて緊張させる人や、首をかしげて電話を持つ人がおられましたので、その姿勢から不必要な力を抜くということを確認していただきました。
そこから普段何気なくしている姿勢や、肩や腕を緊張させてから動作をしていることに気づいていただきました。体幹から動きを始めることや、捻りを上手に使うと、筋肉を緊張させるのではなく、捻ることによって筋肉が締まるということも体感していただけたのではないでしょうか。
最後には、呼吸と横隔膜・鎖骨・肩胛骨などの繋がりを感じてから、合掌姿勢で手のひらにペットボトルを挟んだままで、ゆっくり呼吸して、呼吸と共に身体の中がどのように動いているかを感じていただけたはずなんですが・・・?
参照1:大事な事が抜けている
参照2:2/7中心塾
参照3:知るための訓練 スローモーション
by centeringkokyu
| 2010-02-07 23:22
| 呼吸法中心塾