2010年 01月 09日
歩法を歩法として練習しない |
配付資料031のI川さんからの投稿をご紹介します。
▼歩法について
どうも歩法に対して、なんとなく苦手意識を持っている方が多いような気がします。
かくいう私もその一人なのですが・・・。
歩法の何がそんなに難しく感じられるのでしょうか。
3つほど理由があげられるように思います。
私の考える歩法の問題点3つ
①何のために歩法を練習するのかがわからない
②とっかかりがつかめない。どういうふうに練習したら良いかがわからない。
③上達を実感しにくい。
ここでは、それぞれの解決法を少し考えてみたいと思います。
まずは①、何のために歩法を練習するのかについて。
厳しい言い方かもしれませんが、なぜ歩法が必要なのかを意識せずに練習しても、まったく意味がないと私は思います。
といっても、他人が歩法はOOに効きますと言っているのをただ頭で理解しても、それでは意味がないです。
やはり自分で考えて、本当に腹で納得した理由があれば一番強いと思います。
何のために?というのとは少し違いますが、歩法をやっているとどうなるのでしょうか。
まず、すべての土台である下半身が安定します。
下半身が安定することでしっかりした軸ができ、また、剣も扱いやすくなります。
というよりも、歩法をやらずに剣だけ練習してもまったく意味がないです。
下半身が安定しないと、どうしても剣を上体だけで振ってしまい、
結果、そこしかないという感覚がつかめなくなります。
次に、全身のつながりの感覚が意識できるようになります。
身体は、鞭のように使うのが理想なんだそうです。
そのためには身体各部での抵抗をできるだけ減らすような身体の使い方が出来なければなりません。
要は、中心で作った力の何割を末端まで届けることができるかということです。
そのために体操があるわけですが、つながりの感覚は歩法の方がつかみやすいような気がします。
そして、歩法をやっていると身体の力が抜けてきます。
実は、身体の力を抜くことと全身がつながることは、まったく同じ事なんです。
身体のどこかに余計な力が入っていると、中心で作った力はそこで滞ってしまいます。
すると、ロスした力を補おうとして余計に力が入るという悪循環になります。
力が抜けることでそうしたロスがなくなり、全身をつなげやすくなるわけです。
逆に言うと、歩法をやっていて固まるというのは、やり方がどこかで間違っているということだと思います。
そして一番大事なこと。
歩法をやっていると、歩法をやること自体が楽しくなってきます。
歩法の中に入り込んでいくような感じ。
ランナーズ・ハイという言葉がありますが、それに近いものだと思います。
はたから見てるとかなり怖いような気もしますが・・・。
今気づいたんですが、歩法と体操は同じものではないでしょうか。
上にあげた4つの特徴は、体操にもそのままあてはまります。
歩法の中に体操の動きを探すのではなく、歩法それ自体が体操の一種なのだと思います。
ところで、歩法を練習するときに「つなげろ」「一致させろ」などと言われると思いますが、私はそんなに気にすることはないように思います。
最初からつなげることや一致させることを意識すると、こぢんまりとまとまった歩法になってしまいます。
それよりもむしろ、思いっきりおおげさなくらいの動きで、臨界点をこえるくらいのつもりで練習したほうが良いような気がします。
なによりも、その方がやってて楽しいしね。
次に②、とっかかりがつかめないという問題です。
私はこれが一番厄介な問題だと思っています。
①や③にあげたように、歩法というのは何のためにするのかわかりにくいし、おまけにいくら練習しても上達したっていう実感が湧きにくいものです。
あまりに実感がないものだから、どうしたら効率よく上達できるんだろう、何か秘訣があるに違いないなんて考えてしまいます。
本当は「効率」とか「秘訣」とか言い出した時点でもう終わっているのですが、本人はなかなか気づかない。
現に私も「もっと効率的な方法を教わるまで歩法は練習しません」みたいなことを言って、M岡さんに怒られたことがあります。
心根が卑しいというか何と言うか・・・。今思うと、本当に情けなくなります。
何でもそうなんですが、特に歩法に関してはそんな魔法みたいな秘訣はありません。
毎日毎日、ただチクタク、チクタクと繰り返す。
それだけだと思います。
歩法の練習は、そんな単調な作業の繰り返しなんですが、それを楽しくする方法はいくらでもあると思います。
たとえば、歩法にはいくつも種類がありますが、その全部をやろうとしないこと。
自分の好きなように、好きな歩法だけをやっていれば、それで十分です。
一週間に一度か二度、全部を通してやるより、一種類でいいから毎日コツコツとやる方が上達がはやいような気がします。
あと、歩法を歩法として練習しないこと。
わざわざ時間をとって歩法を練習しなくても、普通に歩くときに股関節を少し意識するだけで、十分に歩法の練習になります。
塵も積もれば・・・という言葉、私はあまり好きじゃないのですが、歩法に関してはあてはまるような気がします。
なんとなく、暇つぶしに、歩法の練習がてら歩いてみようかという気になれれば・・・いいんだけどなあ。
そして、とりあえずやってみることです。
わかりにくいし難しいからと敬遠して後回しにしないで、とりあえずやってみる。
とりあえずやってみることでわかることも多いような気がします。
次は③、いくら練習しても上達したという実感が湧きにくいことについて。
これについては、歩法の練習の成果というのは見えないものだと悟ることが一番だと思います。
身も蓋もない言い方かもしれませんが、本当なのだから仕方がない。
歩法の練習を続けていて、ある日剣を握ったら振りやすくなっていた、体操の動きをしてみたら今までと違った動きが出来た、というようなことがあればそれが歩法練習の成果なのだと思います。
もっと直接的に、K野先生や先輩方に「上達したな」って言われれば、それが練習の成果なのかもしれませんね。
ところで、歩法の練習をする人には、2つのタイプがあるように思います。
自分が出来ていないと自覚できる人と、出来ていないことが自覚できない人です。
言うまでもなく、自覚できる人の方が進歩は格段に早いです。
が、私を含め大多数の人は、自覚できない派だと思います。
自覚できない派の特徴は「歩法って歩くだけやろ?そんなの簡単、簡単」と思ってしまうことです。
なんでいまさら歩法なの?って思ってしまうんですね。
おまけに出来ていないことが自覚できないので、どこをどう直したら良いかわからない。
だから余計に歩法の練習が面白くなくなるんです。
困ったものですね。
さて、最後に私のおすすめの練習方法を書いておきます。
まずは腕をぶん回す練習。
これは簡単、腕を適当に振り回すだけ。
下半身をしっかり安定させてやると、より効果があがります。
2つ目は歩くこと。
歩法も何も考えずに、ただ歩くだけです。
これだとわざわざ時間をとらなくても、いつでもできますよね。
しっかりと意識を持って歩くことは、一番の練習方法だと思います。
歩法の練習は、簡単そうだけれど奥が深く、おまけにとても重要なものです。
これからも構えずに自然体のままで歩法とつきあっていければいいな、と思っています。
#楽隠居です
ちょっと古い資料ですが、ブログに掲載されていなかったようなので、ご紹介させていただきました。配付資料には、私からI川さんへの返信も載せてありますのでご一読ください。
今月から合気観照塾では歩法の稽古になりますが、どんな切り口になるのかまだ決まっていません。皆さんの動きを拝見してから決めさせていただこうと思います。
じっとしていると寒いので、稽古前にもどんどん動いて身体を温めておいてください。
参照1:意識して動くと、真似している人達が変わる
参照2:同類項を簡約してみる?
参照3:「用意不用力」と「拙力僵勁」
▼歩法について
どうも歩法に対して、なんとなく苦手意識を持っている方が多いような気がします。
かくいう私もその一人なのですが・・・。
歩法の何がそんなに難しく感じられるのでしょうか。
3つほど理由があげられるように思います。
私の考える歩法の問題点3つ
①何のために歩法を練習するのかがわからない
②とっかかりがつかめない。どういうふうに練習したら良いかがわからない。
③上達を実感しにくい。
ここでは、それぞれの解決法を少し考えてみたいと思います。
まずは①、何のために歩法を練習するのかについて。
厳しい言い方かもしれませんが、なぜ歩法が必要なのかを意識せずに練習しても、まったく意味がないと私は思います。
といっても、他人が歩法はOOに効きますと言っているのをただ頭で理解しても、それでは意味がないです。
やはり自分で考えて、本当に腹で納得した理由があれば一番強いと思います。
何のために?というのとは少し違いますが、歩法をやっているとどうなるのでしょうか。
まず、すべての土台である下半身が安定します。
下半身が安定することでしっかりした軸ができ、また、剣も扱いやすくなります。
というよりも、歩法をやらずに剣だけ練習してもまったく意味がないです。
下半身が安定しないと、どうしても剣を上体だけで振ってしまい、
結果、そこしかないという感覚がつかめなくなります。
次に、全身のつながりの感覚が意識できるようになります。
身体は、鞭のように使うのが理想なんだそうです。
そのためには身体各部での抵抗をできるだけ減らすような身体の使い方が出来なければなりません。
要は、中心で作った力の何割を末端まで届けることができるかということです。
そのために体操があるわけですが、つながりの感覚は歩法の方がつかみやすいような気がします。
そして、歩法をやっていると身体の力が抜けてきます。
実は、身体の力を抜くことと全身がつながることは、まったく同じ事なんです。
身体のどこかに余計な力が入っていると、中心で作った力はそこで滞ってしまいます。
すると、ロスした力を補おうとして余計に力が入るという悪循環になります。
力が抜けることでそうしたロスがなくなり、全身をつなげやすくなるわけです。
逆に言うと、歩法をやっていて固まるというのは、やり方がどこかで間違っているということだと思います。
そして一番大事なこと。
歩法をやっていると、歩法をやること自体が楽しくなってきます。
歩法の中に入り込んでいくような感じ。
ランナーズ・ハイという言葉がありますが、それに近いものだと思います。
はたから見てるとかなり怖いような気もしますが・・・。
今気づいたんですが、歩法と体操は同じものではないでしょうか。
上にあげた4つの特徴は、体操にもそのままあてはまります。
歩法の中に体操の動きを探すのではなく、歩法それ自体が体操の一種なのだと思います。
ところで、歩法を練習するときに「つなげろ」「一致させろ」などと言われると思いますが、私はそんなに気にすることはないように思います。
最初からつなげることや一致させることを意識すると、こぢんまりとまとまった歩法になってしまいます。
それよりもむしろ、思いっきりおおげさなくらいの動きで、臨界点をこえるくらいのつもりで練習したほうが良いような気がします。
なによりも、その方がやってて楽しいしね。
次に②、とっかかりがつかめないという問題です。
私はこれが一番厄介な問題だと思っています。
①や③にあげたように、歩法というのは何のためにするのかわかりにくいし、おまけにいくら練習しても上達したっていう実感が湧きにくいものです。
あまりに実感がないものだから、どうしたら効率よく上達できるんだろう、何か秘訣があるに違いないなんて考えてしまいます。
本当は「効率」とか「秘訣」とか言い出した時点でもう終わっているのですが、本人はなかなか気づかない。
現に私も「もっと効率的な方法を教わるまで歩法は練習しません」みたいなことを言って、M岡さんに怒られたことがあります。
心根が卑しいというか何と言うか・・・。今思うと、本当に情けなくなります。
何でもそうなんですが、特に歩法に関してはそんな魔法みたいな秘訣はありません。
毎日毎日、ただチクタク、チクタクと繰り返す。
それだけだと思います。
歩法の練習は、そんな単調な作業の繰り返しなんですが、それを楽しくする方法はいくらでもあると思います。
たとえば、歩法にはいくつも種類がありますが、その全部をやろうとしないこと。
自分の好きなように、好きな歩法だけをやっていれば、それで十分です。
一週間に一度か二度、全部を通してやるより、一種類でいいから毎日コツコツとやる方が上達がはやいような気がします。
あと、歩法を歩法として練習しないこと。
わざわざ時間をとって歩法を練習しなくても、普通に歩くときに股関節を少し意識するだけで、十分に歩法の練習になります。
塵も積もれば・・・という言葉、私はあまり好きじゃないのですが、歩法に関してはあてはまるような気がします。
なんとなく、暇つぶしに、歩法の練習がてら歩いてみようかという気になれれば・・・いいんだけどなあ。
そして、とりあえずやってみることです。
わかりにくいし難しいからと敬遠して後回しにしないで、とりあえずやってみる。
とりあえずやってみることでわかることも多いような気がします。
次は③、いくら練習しても上達したという実感が湧きにくいことについて。
これについては、歩法の練習の成果というのは見えないものだと悟ることが一番だと思います。
身も蓋もない言い方かもしれませんが、本当なのだから仕方がない。
歩法の練習を続けていて、ある日剣を握ったら振りやすくなっていた、体操の動きをしてみたら今までと違った動きが出来た、というようなことがあればそれが歩法練習の成果なのだと思います。
もっと直接的に、K野先生や先輩方に「上達したな」って言われれば、それが練習の成果なのかもしれませんね。
ところで、歩法の練習をする人には、2つのタイプがあるように思います。
自分が出来ていないと自覚できる人と、出来ていないことが自覚できない人です。
言うまでもなく、自覚できる人の方が進歩は格段に早いです。
が、私を含め大多数の人は、自覚できない派だと思います。
自覚できない派の特徴は「歩法って歩くだけやろ?そんなの簡単、簡単」と思ってしまうことです。
なんでいまさら歩法なの?って思ってしまうんですね。
おまけに出来ていないことが自覚できないので、どこをどう直したら良いかわからない。
だから余計に歩法の練習が面白くなくなるんです。
困ったものですね。
さて、最後に私のおすすめの練習方法を書いておきます。
まずは腕をぶん回す練習。
これは簡単、腕を適当に振り回すだけ。
下半身をしっかり安定させてやると、より効果があがります。
2つ目は歩くこと。
歩法も何も考えずに、ただ歩くだけです。
これだとわざわざ時間をとらなくても、いつでもできますよね。
しっかりと意識を持って歩くことは、一番の練習方法だと思います。
歩法の練習は、簡単そうだけれど奥が深く、おまけにとても重要なものです。
これからも構えずに自然体のままで歩法とつきあっていければいいな、と思っています。
#楽隠居です
ちょっと古い資料ですが、ブログに掲載されていなかったようなので、ご紹介させていただきました。配付資料には、私からI川さんへの返信も載せてありますのでご一読ください。
今月から合気観照塾では歩法の稽古になりますが、どんな切り口になるのかまだ決まっていません。皆さんの動きを拝見してから決めさせていただこうと思います。
じっとしていると寒いので、稽古前にもどんどん動いて身体を温めておいてください。
参照1:意識して動くと、真似している人達が変わる
参照2:同類項を簡約してみる?
参照3:「用意不用力」と「拙力僵勁」
by centeringkokyu
| 2010-01-09 00:01
| 合気観照塾