2009年 10月 18日
自分自身への観照 |
S川さんからの投稿をご紹介します。
久しぶりに最近の感想等を纏めてみました。
1.目的は何なのかを考える・推理する
練習の時どうしても技をうまく掛けて倒そうとか投げようと考えてしまい、今までと同じ感覚や動きでつい間にあわせてしまったりします。すると結果がなかなかついてこない。そんな時K野さんに説明や誘導をしてもらうと“あぁそうか、なるほど~”と気付かせてもらうことが多々あります。でもよくよく考えてみるとそれは呼吸・軸・中心・意識・リラックス・骨盤時計・体操など今まで何度も何度も何度も繰り返し教えてもらったことばかりで、結局自分がその要素を体現できてないだけということがわかります。
K野さんがよく“投げなくていいので~”と声を掛けてくれていますがその意味や投げ技をやっていて投げなくていいという事はどういうことなのか?じゃあ何を目的としているのか?それに対して自分はどうするのか?
直近では手の内、手の甲に対しての練習でその形の意味や理由またそうなるための必要十分条件は何か?、など技や体操という表現を通してのK野さんの問いかけに対し常に自分なりの解答を準備できるようにしていこうと改めて思います。
2.結果をあせらない・求めない
1に関連していますが、自分がその時求められている課題に対してどこまで達成できているのかを把握して、何ができて何ができていないか?を見極めそれをどうしていくのかを考えていくこと。でもそこであわてず、あせらず、わからなければその時の自分がわかる範囲で対処していくことを第一義として正解や結果を求めないということ。
極論K野さんと全く同じ答えは自分も他の誰も導きだせないし不可能とすれば、結果を求めてOOするということではなくOOしたら結果がついてきたとなったらベターなように思います。そのOOに当たる部分がセンタリング呼吸法等による自分自身への観照なのかなと感じたりします。N山さん等がいう自分創りが大切ということにになっていくのですね。
3.常に新鮮な気持ちで対応する
なかなかこれが難しく、キャリアだけは長い分いつかどこかで見たり経験した技や動きであったりすると、意識の中で楽をしてしまいできてるつもりになってしまってます。都度求められている条件や要素が変化しているのに、変わってないのは自分だけという悲しい状況を自分自身で創り出してしまうこともたびたびあります。
幸い最近はまた新しい方と組んで練習する事が多くなりました。以前と違い、K野さん、M岡さん、M井さん、I川さん等との共通言語である岡本正剛先生を未経験の方にその技の雰囲気だけでも感じてもらうような工夫をしなければいけませんし、あるいは治療家という立場で日々身体というものに向かわれている方々との稽古には正直緊張します。それが必然的に自分のまとめや稽古になっているためマンネリ感や楽をすることができず四苦八苦、青息吐息しながらなんとかついていってるような感じで、しんどいですが助けられているとつくづく思います。
久しぶりに雑感を記してみると実は前にも同じようなことを書いたりメモしたりしていて何の成長もしてなくて、K野さんのいう蚊とり線香状態がずっと続いていることに気付き苦笑するかありません。
六方会の時から良き先輩、観照塾での師匠としてお世話になっています。お付き合いが長いということだけで今も自由に泳がせて頂いているような状態ですがご勘弁願います。
岡本正剛先生の大東流やK野さんのセンタリング呼吸法の理解や実践、そのお手伝いがほんの少しでもできればなぁと思いますのでこれからも宜しくお願いします。
※M岡さんには練習前の調整でお世話になりました、ありがとうございました。I川さんとK野さんもありがとうございました。
#楽隠居です
この写真は、岡本正剛先生の手形です。部屋を整理していたら出てきました。それにしても凄い手ですね!何周年記念だったか忘れたのですが、他の会員さん達は、手形の色紙を頂戴したのですが、大阪支部では私だけがこの手形をいただいたはずだと思います。
このところ手の形の術理について再考しているところですが、岡本先生の身体と手の使い方が変化したのはなぜかということが、体感できるような気がしてきています。
「腹と腰」「足首と手首」「ハラとセナカとセイゴウスイ」などと共に、これからは太極棒を使って考察していきたいと考えています。会員の皆さんからの感想や疑問に関しての投稿をお待ちしています。
久しぶりに最近の感想等を纏めてみました。
1.目的は何なのかを考える・推理する
練習の時どうしても技をうまく掛けて倒そうとか投げようと考えてしまい、今までと同じ感覚や動きでつい間にあわせてしまったりします。すると結果がなかなかついてこない。そんな時K野さんに説明や誘導をしてもらうと“あぁそうか、なるほど~”と気付かせてもらうことが多々あります。でもよくよく考えてみるとそれは呼吸・軸・中心・意識・リラックス・骨盤時計・体操など今まで何度も何度も何度も繰り返し教えてもらったことばかりで、結局自分がその要素を体現できてないだけということがわかります。
K野さんがよく“投げなくていいので~”と声を掛けてくれていますがその意味や投げ技をやっていて投げなくていいという事はどういうことなのか?じゃあ何を目的としているのか?それに対して自分はどうするのか?
直近では手の内、手の甲に対しての練習でその形の意味や理由またそうなるための必要十分条件は何か?、など技や体操という表現を通してのK野さんの問いかけに対し常に自分なりの解答を準備できるようにしていこうと改めて思います。
2.結果をあせらない・求めない
1に関連していますが、自分がその時求められている課題に対してどこまで達成できているのかを把握して、何ができて何ができていないか?を見極めそれをどうしていくのかを考えていくこと。でもそこであわてず、あせらず、わからなければその時の自分がわかる範囲で対処していくことを第一義として正解や結果を求めないということ。
極論K野さんと全く同じ答えは自分も他の誰も導きだせないし不可能とすれば、結果を求めてOOするということではなくOOしたら結果がついてきたとなったらベターなように思います。そのOOに当たる部分がセンタリング呼吸法等による自分自身への観照なのかなと感じたりします。N山さん等がいう自分創りが大切ということにになっていくのですね。
3.常に新鮮な気持ちで対応する
なかなかこれが難しく、キャリアだけは長い分いつかどこかで見たり経験した技や動きであったりすると、意識の中で楽をしてしまいできてるつもりになってしまってます。都度求められている条件や要素が変化しているのに、変わってないのは自分だけという悲しい状況を自分自身で創り出してしまうこともたびたびあります。
幸い最近はまた新しい方と組んで練習する事が多くなりました。以前と違い、K野さん、M岡さん、M井さん、I川さん等との共通言語である岡本正剛先生を未経験の方にその技の雰囲気だけでも感じてもらうような工夫をしなければいけませんし、あるいは治療家という立場で日々身体というものに向かわれている方々との稽古には正直緊張します。それが必然的に自分のまとめや稽古になっているためマンネリ感や楽をすることができず四苦八苦、青息吐息しながらなんとかついていってるような感じで、しんどいですが助けられているとつくづく思います。
久しぶりに雑感を記してみると実は前にも同じようなことを書いたりメモしたりしていて何の成長もしてなくて、K野さんのいう蚊とり線香状態がずっと続いていることに気付き苦笑するかありません。
六方会の時から良き先輩、観照塾での師匠としてお世話になっています。お付き合いが長いということだけで今も自由に泳がせて頂いているような状態ですがご勘弁願います。
岡本正剛先生の大東流やK野さんのセンタリング呼吸法の理解や実践、そのお手伝いがほんの少しでもできればなぁと思いますのでこれからも宜しくお願いします。
※M岡さんには練習前の調整でお世話になりました、ありがとうございました。I川さんとK野さんもありがとうございました。
#楽隠居です
この写真は、岡本正剛先生の手形です。部屋を整理していたら出てきました。それにしても凄い手ですね!何周年記念だったか忘れたのですが、他の会員さん達は、手形の色紙を頂戴したのですが、大阪支部では私だけがこの手形をいただいたはずだと思います。
このところ手の形の術理について再考しているところですが、岡本先生の身体と手の使い方が変化したのはなぜかということが、体感できるような気がしてきています。
「腹と腰」「足首と手首」「ハラとセナカとセイゴウスイ」などと共に、これからは太極棒を使って考察していきたいと考えています。会員の皆さんからの感想や疑問に関しての投稿をお待ちしています。
by centeringkokyu
| 2009-10-18 23:30
| 合気観照塾