2009年 08月 18日
最初に教えてもらったこと |
N山さんからのメールをご紹介します。
2009/8/16 中心塾
(感じたこと)
・ 呼吸で順に緊張-弛緩させる
・ 骨盤-股関節などの下を創るということ
・ どこを締めて、どこを緩めるか
・ 下ありきの上
・ 手の内の引きと攻め・虚実
・ 接点の面と点
・ 観るということ(どういうイメージで操作しているかなど)
などを感じました。後、先生が一冊の本からとか何かから、どういう風に共通項としてリンクさせそれを活用しておられるかという処を判りやすく感じさせて頂き面白かったです。
ありがとうございました。
詳しくはこちらをどうぞ!
#楽隠居です
時々注文しているコーヒー豆屋さんからのメールを転載させていただきます。
「不動智神妙録」という本があります。
宮本武蔵や、柳生但馬守の師であった沢庵という方が柳生但馬守に、剣の道のあり方について説いた指南書です。
その「不動智神妙録」の中に、以下のような一節があります。
『はじめて刀をもつ者は、どうやって刀を構えてよいかすらわかりませんから、何事も心にかかりません。相手が打ち込んでくると、思わず立ち向かおうとするだけです。
それが、刀を構えるにはこう、その時、どんな点に気をつければよいかなど、いろいろな事を教えられるに従って、あれやこれやと気にかかるようになり、かえって身のこなしも不自由になるものです。
しかし長い年月の間、稽古を積んでゆくと、どういうふうに身をかまえようかとか、刀はどうなどとは少しも思わなくなって、ついには、自然に、何も知らなかった初心の時のように、無心の状態にいられるようになるのです。
最初と最後は似たようなものだということでしょうか。一から十まで教えていけば、一と十は隣になります。』
コーヒーの焙煎も、教えられ始めた当初のころはとても上手く仕上げられる時があります。自分は天才ではないだろうかと思う瞬間です。
もちろんそれはずっと続きません。
コーヒーの焙煎も、年月を重ね回数を繰り返せば繰り返すほど悩みが生じてきます。コーヒーと言うものは生豆を焙煎釜に投入しいつも同じ火加減で、同じ時間かければ同じ仕上がりになるというわけではありません。
同じ農園の銘柄であっても収穫された年度によって、生豆に含まれる水分量が異なります。水分量という要素だけではなく、農作物である以上いろいろなことに違いがあります。
焙煎釜の火加減においても、今のような夏場と、冬場では気温が異なります。そうである以上釜の火も同じでいいというわけにはいかなくなってきます。
気温の違いを考慮に入れた上で、焙煎釜の火加減、加えて釜から生豆を出すタイミングを調整させなければなりません。
そうして、知識や経験を身につけ、自分で試行錯誤していけばいくほど、どんどんわからなくなって迷路にさまよいこんで行ってしまう時があります。
剣でいえば、いろいろな所に力が入りだして身動きがとれなくなっている状態の時と同じなのかもしれません。
考えすぎて見失ってしまうことも多々あるというわけです。
そうして道に迷ったとき行き着く答えは、最初に教えられたことだったということはコーヒーの焙煎の場合よくあります。
まさに「一と十は隣にある」ということです。
もちろんだからと言って教えられたをただ単にやっているだけでは腕は伸びません。自分の頭で考えて試行錯誤することは私たちのような仕事においては必須です。
ただ焙煎をしていて迷いが生じたとき答えが新しい何かが見つかるのではなく最初に教えてもらった答えにいきつくこと。
そしてそのことは、どの分野でも共通するということが、とても面白いことだと思うのです。
【道歌から知る美しい生き方に、「稽古とは 一より習い 十を知り 十より返る もとのその一」というのがあります。】
参照1:全体を見ること
参照2:武蔵の剣
参照3:合気上げ下げ
参照4:奪刀法
参照5:太極棒で身勢を確かめる
参照6:道具を工夫しての合気練功
2009/8/16 中心塾
(感じたこと)
・ 呼吸で順に緊張-弛緩させる
・ 骨盤-股関節などの下を創るということ
・ どこを締めて、どこを緩めるか
・ 下ありきの上
・ 手の内の引きと攻め・虚実
・ 接点の面と点
・ 観るということ(どういうイメージで操作しているかなど)
などを感じました。後、先生が一冊の本からとか何かから、どういう風に共通項としてリンクさせそれを活用しておられるかという処を判りやすく感じさせて頂き面白かったです。
ありがとうございました。
詳しくはこちらをどうぞ!
#楽隠居です
時々注文しているコーヒー豆屋さんからのメールを転載させていただきます。
「不動智神妙録」という本があります。
宮本武蔵や、柳生但馬守の師であった沢庵という方が柳生但馬守に、剣の道のあり方について説いた指南書です。
その「不動智神妙録」の中に、以下のような一節があります。
『はじめて刀をもつ者は、どうやって刀を構えてよいかすらわかりませんから、何事も心にかかりません。相手が打ち込んでくると、思わず立ち向かおうとするだけです。
それが、刀を構えるにはこう、その時、どんな点に気をつければよいかなど、いろいろな事を教えられるに従って、あれやこれやと気にかかるようになり、かえって身のこなしも不自由になるものです。
しかし長い年月の間、稽古を積んでゆくと、どういうふうに身をかまえようかとか、刀はどうなどとは少しも思わなくなって、ついには、自然に、何も知らなかった初心の時のように、無心の状態にいられるようになるのです。
最初と最後は似たようなものだということでしょうか。一から十まで教えていけば、一と十は隣になります。』
コーヒーの焙煎も、教えられ始めた当初のころはとても上手く仕上げられる時があります。自分は天才ではないだろうかと思う瞬間です。
もちろんそれはずっと続きません。
コーヒーの焙煎も、年月を重ね回数を繰り返せば繰り返すほど悩みが生じてきます。コーヒーと言うものは生豆を焙煎釜に投入しいつも同じ火加減で、同じ時間かければ同じ仕上がりになるというわけではありません。
同じ農園の銘柄であっても収穫された年度によって、生豆に含まれる水分量が異なります。水分量という要素だけではなく、農作物である以上いろいろなことに違いがあります。
焙煎釜の火加減においても、今のような夏場と、冬場では気温が異なります。そうである以上釜の火も同じでいいというわけにはいかなくなってきます。
気温の違いを考慮に入れた上で、焙煎釜の火加減、加えて釜から生豆を出すタイミングを調整させなければなりません。
そうして、知識や経験を身につけ、自分で試行錯誤していけばいくほど、どんどんわからなくなって迷路にさまよいこんで行ってしまう時があります。
剣でいえば、いろいろな所に力が入りだして身動きがとれなくなっている状態の時と同じなのかもしれません。
考えすぎて見失ってしまうことも多々あるというわけです。
そうして道に迷ったとき行き着く答えは、最初に教えられたことだったということはコーヒーの焙煎の場合よくあります。
まさに「一と十は隣にある」ということです。
もちろんだからと言って教えられたをただ単にやっているだけでは腕は伸びません。自分の頭で考えて試行錯誤することは私たちのような仕事においては必須です。
ただ焙煎をしていて迷いが生じたとき答えが新しい何かが見つかるのではなく最初に教えてもらった答えにいきつくこと。
そしてそのことは、どの分野でも共通するということが、とても面白いことだと思うのです。
【道歌から知る美しい生き方に、「稽古とは 一より習い 十を知り 十より返る もとのその一」というのがあります。】
参照1:全体を見ること
参照2:武蔵の剣
参照3:合気上げ下げ
参照4:奪刀法
参照5:太極棒で身勢を確かめる
参照6:道具を工夫しての合気練功
by centeringkokyu
| 2009-08-18 22:30
| N山りゅう