2009年 05月 01日
無理のない姿勢 |
無伴奏の世界の境地「String 」Mar. 2009 からご紹介します。
◎ヴァイオリニスト 浦川宜也さん
日本を代表するヴァイオリニストのひとりとして活躍し続ける浦川宜也さんが、無伴奏ヴァイオリン・リサイタルを一月十六日ムラマツリサイタルホール新大阪で行ない、満員の聴衆から絶賛の拍手を浴びた。このリサイタルの直後、浦川さんにインタヴューを行なった。
インタビューの後半をご紹介します。
▼ヴァイオリンという楽器は、体に負担がかかることがあると思いますが、正しい姿勢と持ち方を継続されてきたということでしょうか。
「そうですね。ヴァイオリンを弾くこと自体が苦痛でない、ということがとっても大事だと思います。なるべく自然な形で楽器をよく鳴らす。それには、ある筋肉をトレーニングするということはあります。でも、そもそも曲がった形や捻ったような形では、二時間も弾くことはできないです。それは常日頃、心がけていますし、生徒達にも言います。
そして無理の無い姿勢が、一番楽器が鳴るのではないか、と思うんです。ただし、自然がいいと言っても、全部自然にまかせたら、ばらばらになってしまうと思うので、どこかに必要な緊張というものはあると思います。その緊張が、普通の人間にとって耐えうるものでないといけない。それが大事でしょう。」
▼その人にとって、その姿勢なり、必要な緊張なりが、すべて上手くはまったら、いくらでも弾き続けることができるのではないか、と想像するのですが。
「弦楽器というのは、弦を擦って音を出すわけで、擦るときに『抵抗』というものがあるわけですね。その抵抗に打ち勝ったときに、音がでるわけですね。弦楽器で音が鳴るというのは、物理的な現象でしかないわけで、その基本を忘れないようにしながら、いかに宇宙的な拡がりをもった演奏ができるか、ということが大切だと思います。」
参照1:ヴァイオリン リサイタル
参照2:基本練習
参照3:音楽家の呼吸法
▼ドイツの諺『休む奴は錆びる』
「この演奏会を無伴奏でやらせていただくことが決まったときに、いろいろプログラムのことを考えました。
バッハの無伴奏は一九八〇年代に録音して、それ以来、機会あるごとによく弾いてきました。でも、オネゲルは東京で一度だけで、イザイは学生時代に勉強したとき以来、公開の場で演奏したことがなかったのですね。バッハ以外の曲も積極的に弾いていこうと思っていましたので、今回は挑戦的な意味もありました。
私は二〇〇八年の三月で、東京芸大を定年退職し、今は東京音大の大学院で教えていますが、以前より少し時間的な余裕ができたことと、ドイツの諺に『休む奴は錆びる』というものがあって、あんまり遊んでいて、錆び付いてしまってはいけない、という気持ちもあって(笑)、鞭打ってでも挑戦した方がいいと思って、このようなプログラムにしました。
今回せっかくやるのでしたら、バッハの場合、六曲の中でも演奏するチャンスの少ないものをと思い、パルティータは第一番を選びましたが、繰り返しをやりましたので、ちょうど二倍の長さになりました。バッハが一番括弧と二番括弧の両方を書いているところがあるのですが、それは繰り返してほしいから、そのように書いてあるわけです。でも繰り返した場合、一回目と全く同じように弾いてしまうのは、お客様に対して失礼だと思いますし、バッハのあのような素晴らしい作品は、いろいろな所から光を当てるべきではないか、と思ったものですから、繰り返しをいろいろ工夫したつもりです。
バッハの楽譜から何を読み取るか、ということが重要だと思います。常識的な範囲内で、しかもお客様に退屈でないように演奏を心がけました。バロックの時代は『退屈』が最も大きな罪悪だったようですから。
イザイの四番は私の好きな作品です。一番や二番も考えましたが、コンサートの全体を考えてこの曲にしました。
オネゲルは、この作曲家自体、一般的にはあまり聴かれませんが、シンフォニーやオラトリオはとても素晴らしい。無伴奏は、シンフォニーの三番が書かれた伴奏も彼の音楽の魅力が存分に表現された音楽だと思います。
それにしても、いわゆる人気のある曲がプログラムには載っていないのに、あれだけ多くのお客様が来て下さったのは、本当に嬉しいことでした。
普通のリサイタルですと、ピアニストと一緒ですし、もっと聴きやすいものがあると思うのですが、このような無伴奏作品、いわば絶対音楽ばかりというのは、聴かれる方もなかなか大変ではないかな、と思ったものですから(笑)。
楽章間もシーンとしていて、皆さん集中して聴かれていたことは本当に有り疑いことでした。」
▼無伴奏作品の難しさには、例えば重音の問題があると思いますが。
「確かにそうですね。ヴァイオリンという楽器はメロディ楽器です。その楽器に和声を要求されるということが一番の大きな問題だと思います。弦楽器で、しかも一本で和声を表現するというのは、すごく難しいのは確かだと思います。まず音程の問題があります。
ヴァイオリニストには二つのタイプがあると思います。速いパッセージをパラパラ弾くタイプと、重音などを充実した音で弾くタイプ。私はどちらかというと、重音タイプの演奏家だと思っていたので、必然的に今回は重音の曲が多かったわけですが、最近は、パッセージ・タイプの方も魅力を感じておりまして、これからは自分の演奏の幅を拡げていきたいと思っています。」
▼重音はやはり純正の和声を?
「そうですね。でも音程は難しいので、どこまで純正と言えるかは難しいです(笑)。
オネゲルは、機能和声で書かれています。シェーンベルクのような全ての音を平等にばらばら、というのではないです。いつもどこかに中心になる音があって求心力があって帰納するところがあると思います。そういう意味では非常に保守的な作風ではありますね。もちろん、サウンド的にはとでも斬新です。」
▼ヴァイオリンの箱がよく鳴って、楽器の中でのハーモ二-が伝わってきたように感じたのですが。
「作曲家は皆そのことを無伴奏の曲に求めていることなので、それがある程度でも実現できたのであれば、とても嬉しいことです。ふだん、練習しているときから、そこは意識していますから。」
▼一晩無伴奏を弾くというのは、大変なことだと思いますが。芸大を退官されてからは、激務から解放されて、むしろ体力が増したとか。
「そうですね(笑)。私は教えることは好きなのですが、常勤として務めていますと、教えること以外のことがたくさんあります。会議などに時間をとられなくなった、というのは有り難いことですね(笑)。特に独立行政法人になってからというものは、いろいろなことがありまして、そこから解放されただけでも、私は非常に嬉しい。
これからは、ヴァイオリンだけでなく、室内楽、弦楽合奏、伴奏をするピアニストへの指導‥‥といったことにも力を入れていきたいです。
私自身は、まだ元気いっぱいですので、練習をもっとやろうという意欲もありますし、何かにチャレンジしたい、という気持ちもありますので、その気持ちを失わない限りは、ヴァイオリニストとしてもっと努力をしなければいけない、と思っています。」
by centeringkokyu
| 2009-05-01 00:01
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