2009年 01月 27日
静かな心で、柔らかく自分の体を使う |
K村さんからお借りして、遠藤征四郎師範のDVDを見せていただきました。
Seishiro Picturesからご紹介します。
1.「基本の型」
型のなかで見つけた遠藤師範の心法とは?
▼DVD本編テキストより: 「合気道の型稽古において最も重要な事は相手に技を効かすとか、 強く投げるというような、目先の小さな目的のためでなく、 体の使い方、自分と相手との関係、心の状態などを学んでゆくことです。すなわち、心技体のあり方すべてを学んでゆくことです...」
2.「当たりと結び」
創造的な合気道のために-互いを生かし合いへと導く”当たり”、”結び”というコンセプト。
▼DVD本編テキストより: 「私は取り側として、自分の方から相手に当たり、相手からくる当たりを利用するという稽古を始めました。そして後に、静かな心で、柔らかく自分の体を使えば使うほど、相手からの当たりは柔らかくなった り、触れているところの接点の結びつきが強くなり、コントロールをしやすくなっていることを知りました。そしてあらゆる動きというのは、 気と気の当たり、体と体の当たりで始まり、気と気の結び、体と体の接点の結び、そして捌きへ、崩しへと....」
3.「捌きと使い」
心と体の自由のために
▼DVD本編テキストより: 「”当たり”、”結び”、”捌き”、”使い”をこれまでの稽古から、”基本のなかの基本”と位置づけました。それは、「基本の型」を稽古するにあたって必要な気持ちの状態、体の動かし方だからです。相手と互いに協力しながら、自分の内側を見つめ、静かな優しい気持ちでたくさん積み重ねたら、きっと自然な動きと正しい技が身につき創造的な稽古になってゆくと思います....」
▼捌きと使いのノートからも抜粋してご紹介します。
ただ立つ。ただ座る。
持たれたときに構えないように。
入り身したときに、すでに相手は崩れていなければならない。
膝が突っ張っていたら動けるはずはないので、膝をゆるめて楽にする。
取られたところを忘れるために、別のところを意識する。
どこか別のところを見る。
▼シアトル・セミナーからも引用させていただきます。
遠藤先生は始めからただ単に技を教えるということはなさらない。実際、私たちは何か特定の技という考えから離れるように求められた。何らかの技が念頭にあると、先生曰く、機械的にロボットのようにその技が出てしまいがちなものだと。そうではなく先生は、稽古相手とのしっかりした繋がりの中で「何が起きるか」を想像しなさいと促す。先生の教え方では一つの原理を取り上げてそれを深く探求することが多い。その金曜の晩の稽古は拳を握って上向きに構えることで始まった。そして相手はこの拳に上から自分の手のひらを被せ、ゆっくり動かし始める。この練習の目的は、つながっていることと柔軟であることが相手をくずすのにいかに必要かを示すことだった。何度も何度も繰返してようやく、力を抜いて流れるように動く方法を学んだ。この練習に続いて横面打ちとなった。投げは、打ち込みの衝撃を吸収し、加減してから、「拳」の練習で会得した感覚をなぞるのを試すことになった。最初の一教にたどり着くまでにその晩の稽古時間はほぼ終わってしまった。しかし、皆笑顔のままで目が覚めた気分だった。
翌日はさらに、結びということに絞って行われた。今度は手のひらをお互いの肩に置いて押すのだが、肩関節の上に手のひらを当てるような感じだ。投げは自分の肩を回したり、腰を勢い良く動かしたり、また半身の構えに戻ったりといろいろやる。最終的にはこれが二教の動きに繋がっていく。しかし典型的な二教と違い、手首だけでなく体全体に重点があった。肩を動かすには身体の中心を動かし、受けにその力がすべて吸収されるようにするのだ。
土曜日の午後まで、この肩「つかみ」を払い落としたり、可能な限り色々な角度で当たってもその繋がりが切れないようにする練習を、転換や入身、相半身や逆半身で続けた。両方の手が統一的に動かせるようになると、これが天地投げのような動きへとつながり、一層力強い投げになった。特にどの型を手本にしていたわけではないのに、ほとんどの参加者は自分がいろいろな「自由技」を発見しつつあることに気がついた。
#楽隠居です
これまで植芝盛平翁のビデオをはじめとして、多くの合気道関連ビデオを見てきました。一番印象に残っているのが、塩田剛三スペシャルでした。塩田先生の動きは、基本の固い動きとは全く異なり、大東流合気柔術と共通の要素を感じられたからです。
今回拝見した遠藤師範のDVDでは、特に「当たりと結び」の動きや考え方が、六方会の技とよく似ていたので驚きました。
シアトル・セミナーでの感想として、「先生の教え方では一つの原理を取り上げてそれを深く探求することが多い。」と書かれていますが、この辺りの探求方法も大いに共感を覚えます。
ただ、股関節の使い方は、私が習ったコンパクトな大東流の技とは違っていたので、やっぱり合気道的な大きな美しい動きを目指しておられるのだと感じました。
「基本の型」の最後では、スウェットパンツだけの上半身裸でいくつかの技を掛けて、身体の使い方や足捌きをはっきり見せてくださっていたのも、非常に参考になりました。それに、NG集での遠藤師範の茶目っ気のある表情は、大変魅力的でした。
参照:合気の定義
Seishiro Picturesからご紹介します。
1.「基本の型」
型のなかで見つけた遠藤師範の心法とは?
▼DVD本編テキストより: 「合気道の型稽古において最も重要な事は相手に技を効かすとか、 強く投げるというような、目先の小さな目的のためでなく、 体の使い方、自分と相手との関係、心の状態などを学んでゆくことです。すなわち、心技体のあり方すべてを学んでゆくことです...」
2.「当たりと結び」
創造的な合気道のために-互いを生かし合いへと導く”当たり”、”結び”というコンセプト。
▼DVD本編テキストより: 「私は取り側として、自分の方から相手に当たり、相手からくる当たりを利用するという稽古を始めました。そして後に、静かな心で、柔らかく自分の体を使えば使うほど、相手からの当たりは柔らかくなった り、触れているところの接点の結びつきが強くなり、コントロールをしやすくなっていることを知りました。そしてあらゆる動きというのは、 気と気の当たり、体と体の当たりで始まり、気と気の結び、体と体の接点の結び、そして捌きへ、崩しへと....」
3.「捌きと使い」
心と体の自由のために
▼DVD本編テキストより: 「”当たり”、”結び”、”捌き”、”使い”をこれまでの稽古から、”基本のなかの基本”と位置づけました。それは、「基本の型」を稽古するにあたって必要な気持ちの状態、体の動かし方だからです。相手と互いに協力しながら、自分の内側を見つめ、静かな優しい気持ちでたくさん積み重ねたら、きっと自然な動きと正しい技が身につき創造的な稽古になってゆくと思います....」
▼捌きと使いのノートからも抜粋してご紹介します。
ただ立つ。ただ座る。
持たれたときに構えないように。
入り身したときに、すでに相手は崩れていなければならない。
膝が突っ張っていたら動けるはずはないので、膝をゆるめて楽にする。
取られたところを忘れるために、別のところを意識する。
どこか別のところを見る。
▼シアトル・セミナーからも引用させていただきます。
遠藤先生は始めからただ単に技を教えるということはなさらない。実際、私たちは何か特定の技という考えから離れるように求められた。何らかの技が念頭にあると、先生曰く、機械的にロボットのようにその技が出てしまいがちなものだと。そうではなく先生は、稽古相手とのしっかりした繋がりの中で「何が起きるか」を想像しなさいと促す。先生の教え方では一つの原理を取り上げてそれを深く探求することが多い。その金曜の晩の稽古は拳を握って上向きに構えることで始まった。そして相手はこの拳に上から自分の手のひらを被せ、ゆっくり動かし始める。この練習の目的は、つながっていることと柔軟であることが相手をくずすのにいかに必要かを示すことだった。何度も何度も繰返してようやく、力を抜いて流れるように動く方法を学んだ。この練習に続いて横面打ちとなった。投げは、打ち込みの衝撃を吸収し、加減してから、「拳」の練習で会得した感覚をなぞるのを試すことになった。最初の一教にたどり着くまでにその晩の稽古時間はほぼ終わってしまった。しかし、皆笑顔のままで目が覚めた気分だった。
翌日はさらに、結びということに絞って行われた。今度は手のひらをお互いの肩に置いて押すのだが、肩関節の上に手のひらを当てるような感じだ。投げは自分の肩を回したり、腰を勢い良く動かしたり、また半身の構えに戻ったりといろいろやる。最終的にはこれが二教の動きに繋がっていく。しかし典型的な二教と違い、手首だけでなく体全体に重点があった。肩を動かすには身体の中心を動かし、受けにその力がすべて吸収されるようにするのだ。
土曜日の午後まで、この肩「つかみ」を払い落としたり、可能な限り色々な角度で当たってもその繋がりが切れないようにする練習を、転換や入身、相半身や逆半身で続けた。両方の手が統一的に動かせるようになると、これが天地投げのような動きへとつながり、一層力強い投げになった。特にどの型を手本にしていたわけではないのに、ほとんどの参加者は自分がいろいろな「自由技」を発見しつつあることに気がついた。
#楽隠居です
これまで植芝盛平翁のビデオをはじめとして、多くの合気道関連ビデオを見てきました。一番印象に残っているのが、塩田剛三スペシャルでした。塩田先生の動きは、基本の固い動きとは全く異なり、大東流合気柔術と共通の要素を感じられたからです。
今回拝見した遠藤師範のDVDでは、特に「当たりと結び」の動きや考え方が、六方会の技とよく似ていたので驚きました。
シアトル・セミナーでの感想として、「先生の教え方では一つの原理を取り上げてそれを深く探求することが多い。」と書かれていますが、この辺りの探求方法も大いに共感を覚えます。
ただ、股関節の使い方は、私が習ったコンパクトな大東流の技とは違っていたので、やっぱり合気道的な大きな美しい動きを目指しておられるのだと感じました。
「基本の型」の最後では、スウェットパンツだけの上半身裸でいくつかの技を掛けて、身体の使い方や足捌きをはっきり見せてくださっていたのも、非常に参考になりました。それに、NG集での遠藤師範の茶目っ気のある表情は、大変魅力的でした。
参照:合気の定義
by centeringkokyu
| 2009-01-27 00:03
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