2008年 11月 10日
自分で工夫・努力&不断の練習 |
「自己コントロール法」成瀬悟策著からご紹介します。
▼自分で工夫・努力
この自己コントロールは当人自身の努力により、練習を通して決められた体験課題を達成してゆくことで成り立っている。だから、自分で工夫し、実地に体験することが何よりも大切である。理論的な問題は。本当はその後でなければわからない。何が受動性注意集中なのか、非現実性志向がどのようなものかなど、ことばだけの論議はあまり意味がない。まず自分でやってみること、そこで、何とか課題を実現しようと工夫を凝らしてみることが自己コントロールのための第一条件である。
発心して練習をはじめると、しばらくの間は珍しいし、挑戦の意欲もあるし、なんだかうまくいきそうな気にもなれるし、あるいは本当にうまくいっているばあいもあって、熱心に練習を進めるのがふつうである。ところが,そのうちだんだんと気持ちが変ってくる。“自分には合っていないのではないか”、“無駄に時間を費やしているばかり”、“意味のないことをしている”、“こんなことをしていて何んの役に立つのだろうか”などの疑念が生じてくるのも一般的である。
とくに熱心な人、期待の大きすぎるばあいなどには、その変化も大きく、練習に対する抵抗も生じて、やる気を喪いやすい。そんなふうに感じはじめたのは多くのばあい、実は練習が進みはじめ、自分が直面している壁を感じはじめたせいである。この壁が何であるのか、どうすればそれが越えられるのかを長い眼で模索すること、それ自体が自己コントロールの練習の目指すものである。そんな壁が越えられず、背いたり、逃げたり、悪口をいうことで自己満足して、練習を中止してしまう人は、どこへ行っても同じように壁から逃れることができず仕舞いになりやすい。
▼不断の練習
腰を据えて、時日をかけ、じっくりとやるつもりで練習に取りかかるのがよい。またこれをやればかくかくの効果が期待できる、ということはある程度事実だとしても、それを直ちに出現するかのように思うと報われたという感じが薄くなる。効果を期待するよりも、むしろ練習の進歩に工夫を凝らすという、いわば当面の課題に取り組むことに興味をもち、自分の心の動き、気持ちの変化、習性、特性、弱点、困難点など、これまで自分でも気づかなかったことに気づく面白さ、またそんな自分へのチャレンジに興味を抱くような練習を企てるほうが、その効果をよりよくエンジョイできるものである。
したがって、さあ明日は試合だから、あがらないためのリラクセイション練習をやろう、というので、はじめての練習を開始する、などは全く効果もあがらない。むしろ、あらかじめじっくりとリラクセイションやイメージの練習を進めていれば、それだけでもあがりにくくなるし、なおそれ以上に積極的な効果を求めるなら、メンタル・リハーサルができるような練習をあらかじめ進めておくことである。それができていさえすれば、いざ明日は、というとき,リラクセイションでもイメージでも、あるいはメンタル・リハーサルでも、試合の状況を予演し、自分の身の処し方を工夫しさえすればよいのである。
すなわち、毎日毎日の練習の積み重ねの中で少しずつあがりに対する態度が出来上がっていくことになる。今日は少し疲れたから休んで、明日からまた続けよう、というのは、たいていうまくいかない。今日休んだものは、明日もほとんど同じように、さらに明日へ延ばされるのがおちである。いま、この時点で練習する、明日はまた明日の風が吹くのであって、今日の風は吹かない、という心構えがないと、どうしてもおっくうになって、長続きしなくなるものである。
参照1:習い・稽古・工夫
参照2:一人稽古
参照3:自分の思い違いや欠点を修正するための稽古法
参照4:今思っていること
参照5:教えないから伸びる
参照6:本当のこと?
参照7:心で扱う
参照8:知的正直
天突の意識もよろしく!
by centeringkokyu
| 2008-11-10 00:03
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